歴史の一歩
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人物・平安時代

清少納言の知られざる偉業とは?なにをやった人かを徹底解説!

清少納言と聞いてあなたは何を思い浮かべますか?
代表作である『枕草子』を思い浮かべる方がほとんどでしょう。
もちろん、現代でも多くの人に愛される文学作品ですが、彼女の功績は実はそれだけではありません。
清少納言は歴史の中に埋もれてしまったかもしれない中宮定子を現代まで伝えたという、非常に大きな業績を残しているのです。
一体、清少納言はどのように中宮定子を後世に残したのでしょうか?
この記事では、枕草子以外の清少納言の知られざる偉業について、詳しく解説していきます。
清少納言の意外な側面を知りたい方、歴史好きな方、
ぜひ最後までご覧ください。

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清少納言の隠れた業績とは?

さきにも書きましたが、清少納言が残した最大の業績は歴史に埋もれてしまったであろうはずの中宮定子を現代まで伝えのこしたという事につきると思います。

あなたは何人の皇后を知っていますか?

天皇の妃、側室、数え上げればきりがない星の数ほどいる帝のオンナたち。

あなたは何人知っていますか?
どんな方がいたかご存じでしたか?

おそらくそこに興味が行かなかったという点と、史実として残っている史料が少ないっていう点であまり知らないという方もおおいと思います。
清少納言はそんな歴史に埋もれそうだった、中宮定子の事を私たちに伝える偉業を成し遂げたのです。
中宮定子がいかに素晴らしく、すてきな女性だったのかと私達に今も語り続けているのです。

清少納言と中宮定子のエピソード

枕草子のなかに見る清少納言と中宮定子のエピソードはあるのかな?

184段「宮に初めてまいらせる頃」

清少納言のイメージってどうですか?
気が強くて超絶サバサバ系って感じだと思っている方も多いと思います。
しかしこの段を読むと、「あれ?清少納言ってこのころは乙女じゃん?なんか線の細そうなか弱そうな印象?」とも思えてきます。

どんな事が書かれていたのか

はじめて宮仕えをする日に、清少納言が宮中で、怖くて何をどう動けばいいのか分からなかった時がありました。
その様子を見た中宮定子が、清少納言の事を気にかけて優しく接してくれました。
なぜそこに絵の話が出て来るのか私は分からないのですが、中宮定子が「この絵はこう、あの絵はこう。」と説明してくれたそうです。

この段の清少納言の気持ちを推察すると…。

それに中宮定子の女房たちは意外にも親切に接してくれていた様子が伝わってきました。
会社勤めだけじゃなくて、新しい学校、新しいクラスに入っていき、そこで新説に明るく接してくれる存在がいてくれたらと思ったことはだれにでもあるはずです。
増して自分に親切に接してくれたのは、この国のファーストレディというわけですから、感動もするでしょう。やっぱり。
清少納言が中宮定子に対して心酔してしまう気持ちがよくわかります。
それに、ここでの清少納言の様子が、本当に乙女みたいです。
かわいらしい中学生くらいの気弱なお嬢さんって感じで、驚いてしまいます。
そんな控えめのように見えた清少納言も、宮中で磨かれて、ブイブイ言わしながら生活していくことになるんですね。

第27段清少納言再出仕

 

華やかだったのは、中宮定子が出家する前の年位まででした。
その後、中宮定子のお父さんの藤原道隆は病没し、兄の伊周は暴力事件を起こして、遠島など不祥事続きで定子は宿下がりになってしまい、その後清少納言は道長のスパイだったんじゃないかなどといろいろなスキャンダルに巻き込まれます。
道長は定子から見たら敵も同然。親戚でありながら…叔父と姪という間ながら敵同士でした。
定子を敬愛している清少納言にしてみれば、道長のスパイになるなんて、噂をされるだけでも腹が立ったはずです。
いろいろな噂をたてられた清少納言は、宿下がりをしてしまいます。
このころは定子も宿下がりしています。
身内の不祥事を一心に背負い、責任を取った形です。
そんな失意の定子でしたが、清少納言に橘の花びらを送り、「言わでも思うぞ」と手紙をしたためます。

その意味は?

 

「言わなくても分かっていますよ。」
定子が清少納言にあてた励ましの手紙でした。
なぜここに橘のはなびらが?
なぜ中宮定子は橘の花を手紙に添えたのでしょうか?
それは橘の花と梔子(クチナシ)の色が似ている事と、古今集にある梔子の和歌に関連付けてて選んだ花という事のようです。

ダジャレ大好き定子ちゃん

このことから分かるように、中宮定子はダジャレが好きだったようです。
どこだったか忘れましたが、枕草子の中にも、ダジャレなどの言葉遊びが大好きだったと書いてありました。
清少納言がスキャンダルに巻き込まれて、あなたがいないとつまらないとかいてあったとも言われています。

さらにうれしいプレゼントとは?

この橘の花と手紙の他に、この時清少納言は貴重な紙をプレゼントされます。
以前、中宮定子の宮仕えだった時に、「辛い時でも真っ白な紙を見ていたら元気になる」というような事を話したことがあったようです。
それを中宮定子は覚えていて、励ますために紙を用意してプレゼントしたんですね。
本当は中宮定子のこの時の身の上は、父親も死に、お兄さんは流刑、母親は心労が祟り他界。そんな境遇の時に、かつての部下だった清少納言を励ましねぎらうなんて。。。なんて素敵な女性なんでしょう。
清少納言じゃなくても惚れてまうやろ~って感じです。

枕草子を書いた清少納言と枕草紙を現代で表すとどんな感じ?

枕草紙…それはまさしく現代のインスタエックスみたいなものです。
それほど難しくもなく、宮中のアレコレとか、あの男はイケてないとか、この会社はダメだねとか、推し活みたいな内容も書いてあります。
ですから、それを書いた清少納言はインフルエンサーとか人気ブロガーって感じです。

巧みな文章術を使って、清少納言がのこしたかった事とは、やはり自分に親切にしてくれて、優しかった中宮定子様のことを世間に知らしめたかったんじゃないかと思うんです。

中宮定子は美しく、聡明で優しく、明るく、誰からも好かれるようなステキな女性でした。
清少納言は結婚していましたが、離婚し実の子どもは夫に引き取られていましたから、中宮定子の優しさは身に染みたんじゃないかと思います。

まとめ

当時の摂関政治のなかにあって、女性はただの「子供を産み、実家の家運を上げるためだけの存在」の姫君が多かった時代。
ただ利用され、搾取されるだけで歴史に埋もれてしまった数知れない姫君達。
そんな中で中宮定子を現代でも私達の前に明るくつまびらかにしてくれたのは清少納言の最大の功績と言えるのではないかと思います。
それは清少納言の本当にしたかったことだったとしたら、願いはかなったという事でしょう。
中宮定子の死後、清少納言は歴史の表舞台から消えていきます。
そしてとても貧しい暮らしをしたそうですが、私にはこの功績がうらやましいのです。

 

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