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歴史の一歩
その史実は本当に真実だと思いますか?
人物・鎌倉時代

逃げ上手の若君・北条時行ってどんな人?人気の秘密を徹底解剖!

北条時行は、鎌倉幕府滅亡という激動の時代を生き抜いた、魅力的な人物です。
漫画『逃げ上手の若君』で人気を集め、フィクションとしての側面も注目されていますが、歴史上の北条時行はどのような人物だったのでしょうか?

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なぜ今北条時行なのか?

現在は小学生を中心に北条時行という人物について人気が集まっています。
「逃げ上手の若君」では鎌倉幕府滅亡後の混乱期を舞台に、華麗なる逃亡劇を繰り広げる主人公・北条時行。
そのユニークなキャラクターたちとスリリングな展開で、多くの読者・視聴者を魅了しています。
今回は、そんな本作の主人公、北条時行の魅力に迫り、なぜ彼がこれほどまでに人気を集めているのかを徹底的に解剖していきます。

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歴史上の北条時行とは?

北条時行は、鎌倉幕府第14代執権・北条高時の次男として生まれました。
おかあさんは新殿とも二位殿とも伝わっていますが、はっきりとは分かっていません。

 

北条高時ってどんな人?『逃げ上手の若君』と史実!を徹底解剖逃げ上手の若君というアニメが人気です。それは鎌倉幕府滅亡後のお話です。主人公の北条時行の父親は北条高時といい、愚鈍の武将として現在でも語り継がれています。もちろん逃げ上手の若君の中でもそれ以上にダメ武将ぶりで描かれています。高時のエピソードを盛り込みながらサバの考察を書いてみました...

生涯

鎌倉幕府最後の得宗・北条高時の次男として誕生。
鎌倉幕府滅亡後、鎌倉奪還を目指し、信濃の諏訪頼重らと手を組み、中先代の乱を起こしました。
わずか1ヶ月で鎌倉を奪還する快挙を成し遂げましたが、足利尊氏の反撃により再び鎌倉を失い、その後も各地を転戦しました。
最後は南朝方の新田義興に身を寄せ、捕らえられて処刑されました。

何をした?

勇猛果敢な武将でありながら、文武両道の才に秀でていたと伝えられています。
若くしてまわりからの声に推されて、鎌倉幕府と北条家再興をかけて蜂起しましたが、強大な足利幕府に抵抗するのは容易なことではなかったようです。
それでも3回も鎌倉幕府奪還を成し遂げています。
カリスマ性があり、多くの家臣や民衆から支持を集めました。

小さいころの北条時行とは?

実は北条得宗家(本家)の若君でありながら、生年は不詳です。
手がかりとしては、異母兄の邦時が1325年5月生まれなので、そのあとある手紙に父親の高時に1329年男児が誕生したと記載があるので、それが時行だとする向きが有力です。

幼名は?

実はこれもはっきりとはわかっていません。
保暦間記によれば、勝寿丸とか、太平記では亀寿と呼び捨てだったり、北条系図では亀寿丸と様々です。
ただ別名もあってそれはどの文献も統一されていて「相模次郎」と言われていたようです。
鎌倉幕府滅亡時の時行の年齢は?
推定年齢なので、絶対ではありません。
1329年出生だとすると、鎌倉滅亡が1333年ですから、なんと満で3、4歳程度だったことになります。
余談ですが、異母兄も邦時ですら満で8歳程度です。
小学校3年生程度と年長さんくらいだったってことですね。
そりゃぁ逃げ上手にもなりますよね。
逃げないと死んでいたって事ですからね。
事実邦時は伯父の裏切りで死んでいます。
さて話は戻りますが、時行の生年が推定という事からもわかるように、時行の小さい頃の史料がほとんどのこされていないのです。
普通は考えられないことですが、戦後の混乱期に鎌倉から脱出して命を永らえることができただけでもめっけもんだったんでしょうね。

中先代の乱の事

中先代の乱は、鎌倉幕府滅亡後、北条氏が再興を図った一大事件です。
時行は、推定でわずか6歳から8歳くらいでこの乱を起こし、一時的に鎌倉を奪還するなど、その勇猛果敢な姿や、人を引きつける魅力は後世に語り継がれています。
歴史上の時行も、危機を回避するために巧みに逃げ回る場面が多かったことから、マンガの設定は史実に基づいている部分もあると言えるでしょう。
史実の北条時行も逃げたり、隠れたりがとても得意でした。
追い詰められても、神の助けが現れれるように、するりと逃げています。
これは鎌倉幕府滅亡後に中先代の乱以降、尊氏などに追い詰められても、脱出して難を逃れています。

なぜ1335年の北条時行の起こした乱を「中先代」というのでしょう。

これは鎌倉幕府の北条高時と室町幕府の足利尊氏の間に、武家の府である鎌倉でわずかな期間でも修めることができたという敬意を込めた「中先代」という意味なんだと思っています。
1335年の中先代の乱では、兵はなんと5万にまで膨れ上がっていました。
鎌倉幕府滅亡から2年の間にそれくらい室町幕府や建武の新政に失望し困窮していた武士がそれ以上にいたという事です。
そしてここで重要なのが、この時の北条時行の年齢は推定で6歳から8歳です。

1335年の時点の時行の年齢があらわすものとは?

こんなに小さな子供ともいえる時行が実際の大将となり、軍を動かすのは不可能に近かったと思います。
実際に動かしていたのは諏訪頼重などの守ってきた者たちの力も大きかったはずです。
こういう史実を見ると北条時行はただのお飾りじゃなく、みんなに慕われて愛されていたと思うんです。
それが証拠に、この中先代の乱の時に諏訪頼重などは時行を逃がすために、顔面の皮をはいで、40名以上が自刃しています。
それくらい北条時行という北条得宗家最後の投手は愛されていたということを見るとき、せめてもの救いだと思わざるをえません。

マンガ「逃げ上手の若君」の時行

漫画『逃げ上手の若君』では、北条時行は「逃げ上手」というユニークなキャラクターとして描かれています。
アニメの中の時行
しかし、漫画では時行のキャラクターがよりコミカルに、そして魅力的に描かれており、歴史上の時行とは異なる側面も多々見られます。
アニメの中で跡継ぎとして期待されるも、武芸よりも逃げることが得意な、どこか抜けた少年として描かれています。
争いを嫌い、平和な日々を願う一方で、いざという時には持ち前の機転と運動神経で危機を脱します。
彼の最大の武器は、まさにタイトル通りの「逃げ上手」なところですが、華麗な身のこなしと、持ち前の明るさと人柄で、絶体絶命のピンチを何度も切り抜けていきます。

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両方を見て考えられる事

作中でもそのように描かれていますが、実際の北条時行は3回も少ない手勢で鎌倉を奪還します。
しかし、すぐに足利尊氏の強大な軍事力を前に奪い返されます。
これは私には逃げ上手というよりは、立派な武勇伝で、かなり有能であり、さらには人望に厚かったと思っています。
なぜなら何回も書いていますが、時行の中先代の乱の頃の年齢は6歳から8歳と思われます。
そんな小さな子供が陣を動かし、戦の計略を練ることは到底不可能です。
鎌倉を奪還するときに、時行たちは鎌倉を納めていた足利直義をさんざん苦しめて追い払っています。
それで考えると、小さい時行を守り、北条家再興を願い、盛り立てた人物が相当いたという事です。
それは北条家にまだまだよさを感じていた御家人がいたという事だと思いますし、時行という人物に棟梁の資質を見出していたからなんじゃないかと思うのです。

まとめ

北条時行は、単なる「逃げ」の達人ではなく、様々な魅力を持った複雑なキャラクターです。
彼の生き方や考え方から、私たちは多くのことを学ぶことができるでしょう。
「逃げ上手の若君」は、歴史エンターテイメントとしてだけでなく、いかにその場で苦しかったとしても、信頼できる仲間を持ち、そして助け合っていくことがなにかを成し遂げる事になるという証明になると思います。

あなたも、北条時行の華麗な逃亡劇を一緒に楽しみませんか?

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