大河ドラマ「光る君へ」で描かれる彰子と一条天皇の関係に、多くの視聴者がヤキモキしているのではないでしょうか?
これは史実に基づいた内容ですが、二人の仲が進展しなかった本当の理由とは何だったと思いますか?
年齢差や政治的背景、そして一条天皇の心の内側に迫りながら、その真相に迫ります。
年齢の事
彰子と一条天皇の年齢差はどれくらいだったのでしょうか?
幼すぎた花嫁、大きすぎた年齢差
彰子が一条天皇に入内したのは、わずか12歳(数え年)の時でした。
一方、一条天皇は20歳。
8歳という年齢差は、特に彰子の若さを考えると、二人の関係構築に大きな壁になっていたんじゃないかと思います。
入内した時に彰子は「雛遊びの后」と言われるくらい幼く、しかも内気な少女でした。
数えで12歳と言えば10歳から11歳です。
彰子は現代なら小学校4年生か5年生くらいでしょうか。
一条天皇は大学生くらい…。
当時の男子は小学生の幼子に対して好きという感情を持つことができたんでしょうか?
事実、一条天皇は彰子の様子を見て「彰子を見ていると自分が恐ろしく年をとったおじいさんのような気分になる」と言っていることから、恋するというよりは妹を見るような気持だったんじゃないかと思います。
まぁ…20歳くらいで自分をおじいさんになった気分になるとは、私からしたら人生ナメとるなって気分ですが…。
一条天皇の心を占める定子の存在
入内当時、一条天皇の心は既に藤原定子で満たされていました。
定子との深い愛情関係が続いていたことで、彰子との関係構築に消極的だった可能性が高いのです。
相思相愛で死後もその面影を求めていた場所に12歳で入っていかなくてはならない彰子の心情を考えると、道長もよくそんな鬼なことできるねって思います。
それで一条天皇は定子の死後、その面影を求めて、定子の妹を入内させています。
その定子の妹の年齢は不明ですが、一条天皇はその妹に執心だった時期がかなり長くあったようです。
一条天皇と定子の妹・御匣殿との関係
一条天皇は、最愛の妻である定子が亡くなった後も、彼女を忘れることができませんでした。
そこで、定子の妹である御匣殿(みくしげどの)と関係を持つようになりました。
御匣殿との関係の背景
この関係には、以下のような背景があったと考えられます:
定子への思慕:一条天皇は定子を深く愛しており、彼女の死後も強い思いを抱いていました。
定子の面影を求めて:御匣殿は定子の妹であり、容姿や性格が似ていた可能性があります。
事実おだやかで物静かだったようです。
一条天皇は彼女に定子の面影を求めたことは十分考えられます。
政治的な理由:藤道道長をけん制するために定子の親族との関係を続けた可能性もあります。
御匣殿の短い生涯
しかし、御匣殿との関係も長くは続きませんでした。
御匣殿もまた、定子の死後ほどなくして亡くなってしまいました。
実は出産をするために里帰りをしていたのですが、その里帰り先で身重のままお亡くなりになっています。
一条天皇の悲しみ
二人の死は、一条天皇に大きな悲しみをもたらしたんじゃないかと思うんです。
定子への深い愛情と、その妹である御匣殿との関係は、一条天皇の人生において重要な出来事だったと言えるでしょう。
この二人の死の出来事は、一条天皇の個人的な感情と、当時の宮廷社会の複雑な人間関係を反映しています。
定子への変わらぬ愛情と、彼女を失った後の悲しみが、御匣殿との関係につながったのかもしれません。
政治的思惑による結婚
彰子の入内は、父・藤原道長の政治的野心によるものでした。
このような政治的な結婚は、当時からよくある話です。
その関係が夫婦の親密な関係になることはまれでしょうね。
周囲からのプレッシャー
道長をはじめとする周囲の人々が、早期の男子出産を期待していたことが、二人の関係に余計な緊張をもたらしました。
このプレッシャーが、自然な関係の発展を阻害した可能性があります。
一条天皇の気持ちとは?
道長は早く天皇家との外戚関係にもっていきたかったのでしょうが、一条天皇は相手が定子の一家の没落とその定子の死への原因をつくった張本人だと思っていたでしょうし、それが事実でした。
たとえ、彰子に罪はないとわかっていても、彰子に子供ができて、道長が外戚になればどうなるかぐらいは想像できたでしょう。
それだけは避けたかったし、そこまでして彰子に魅力を感じなかったということじゃないかと思います。
まだ子供の彰子ちゃんですしね。
一条天皇は年上好み?
一条天皇の愛称たちはほとんど年上だったと言われています。
定子は5歳上でしたしね。
そんな中で彰子ちゃんはやはり子供過ぎたんじゃないかと思うんです。
藤原道長の存在
彰子ちゃんの最大の障壁はやはり道長パパだったんじゃないかと思うんです。
道長パパが暗躍するから一条天皇は逃げたくなってしまう…そんなところじゃないかなって思います。
そして、平安時代の貴族社会では夫婦関係の親密さよりも政治的な結びつきだったり、立場だったりがかなり重要視されていました。
そんなところも彰子ちゃんと一条天皇の夫婦仲が進展しなかった原因だと思います。
まとめ・結局彰子と一条天皇の今後は?!
安心してください。
彰子ちゃん入内の10年後くらいには最初の子供(後の後一条天皇)が生まれます。
この10年の間に、彰子ちゃんの苦悩や一条天皇のしがらみなんかもあって、苦しんだんです。
それでもこの二人には男の子が2人が生まれているので、それなりに夫婦仲はむつまじくかったんじゃないかと思います。
それに彰子ちゃんが24歳で一条天皇は32歳の若さで崩御すると悲しんでいた様子が「紫式部日記」にのっていたりするので、彰子ちゃんは一条天皇を「お慕い申して」いたんだと思います。
大河ドラマ「光る君へ」は、こうした複雑な背景を持つ彰子と一条天皇の関係を、どのように描いていくのか…。
今後の展開に興味津々です。