5月31日の放送ラスト、緊迫した空気のなかで描かれた秀吉の播磨(はりま)攻め。 次回6月7日放送の『豊臣兄弟!』では、戦国屈指の悲劇とされる「上月城(こうづきじょう)の戦い」が本格化します。
画面に一瞬映ったあの武将の運命は? そして、これから巻き起こる過酷な戦いの結末とは……?
ドラマを観て、
「赤松政範って、一体何者?」
「秀吉が下した『皆殺し』の決断って本当?」
「大河ドラマで山中幸盛はどうなっちゃうの?」
と気になっている方も多いのではないでしょうか。
主人公の小一郎(豊臣秀長)や兄・秀吉の運命を大きく変えることになるこの戦いには、教科書には載らない壮絶な史実が隠されています。
この記事では、歴史に詳しくない方にもわかりやすく、上月城を舞台にした史実の全貌と、そこに散っていった2人の武将の切なすぎる最期を徹底解説します!
ドラマが10倍面白くなること間違いなしですので、ぜひ最後までお付き合いください。
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豊臣兄弟!の舞台・上月城の戦いとは?史実をわかりやすく解説
次回、大河ドラマ『豊臣兄弟!』で緊迫の局面を迎える「上月城(こうづきじょう)の戦い」。
歴史の教科書では一言で片付けられがちな戦いですが、実は秀吉の天下取り、そして弟・小一郎(秀長)の心の成長を語る上で、絶対に外せない「戦国屈指のターニングポイント」です。
まずは、この戦いがどのようなものだったのか、要点を分かりやすく整理してみましょう。
上月城はどこにある?なぜ狙われた?
舞台となった上月城があったのは、現在の兵庫県佐用町(さよちょう)です。
当時の地図で見ると、織田信長の勢力圏(京都・播磨など)と、中国地方を支配する巨大勢力・毛利氏の勢力圏の「ちょうど境界線」に位置していました。
つまり、織田と毛利のどちらにとっても「絶対に譲れない最前線の超重要拠点」だったのです。
信長から播磨攻めを命じられた秀吉軍は、毛利の息がかかったこの上月城を落とすため、猛烈な攻勢をかけます。
敵と味方、それぞれに用意された「2つの悲劇」
この上月城の戦いが「悲劇」と呼ばれる理由は、一つの城を舞台に、敵側・味方側それぞれに涙なしでは読めないドラマがあるからです。
【前編のドラマ】: 城を守る毛利方の城主「赤松政範」と、落城後に秀吉が下した非情な決断
【後編のドラマ】: 新たに城を任された織田(尼子)方の武将「山中幸盛」と、信長に切り捨てられた見殺しの悲劇
一つの城主が代わることで、バトンを繋ぐように連鎖していく2つの運命。
ここからは、5月31日の放送ラストに登場した「赤松政範」の身に起きた前編のドラマから、その壮絶な史実を深掘りしていきましょう。
【前編】毛利方の城主・赤松政範の最期と秀吉の「皆殺し」
5月31日の放送ラスト、織田信長や秀吉の軍勢を前に、ただならぬ緊迫感を漂わせていた上月城。その城主として、まさに歴史の荒波に呑み込まれようとしていたのが赤松政範です。
5月31日放送に登場した赤松政範とは?
赤松政範(あかまつ まさのり)は、地元の播磨(現在の兵庫県南西部)に根を張っていた豪族・赤松氏の一族です。
当時、播磨の国衆たちは「織田につくか、毛利につくか」で激しく揺れていました。その中で赤松政範は、中国地方の巨大勢力である毛利氏と同盟を結び、織田・秀吉軍を迎え撃つ道を選びます。
こうして上月城は、毛利方の最前線基地となったのです。
H3:秀吉軍の猛攻と赤松政範の自害
天正5年(1577年)11月、秀吉率いる織田軍が大軍で上月城を包囲します。
その数、なんと数万規模。
対する赤松軍はわずか数千人でした。
秀吉、そして軍師・黒田官兵衛らの策によって、上月城は完全に孤立。
兵糧(食べ物)や水の補給路を断たれ、城内は飢えと絶望に包まれていきます。
1ヶ月以上にわたる籠城戦の末、これ以上の抵抗は無理だと悟った赤松政範は、秀吉軍に降伏を申し出ます。
その条件は「自分の命と引き換えに、城に残された兵士や女子供の命を助けてくれ」という、城主としての責任を果たした涙ぐましいものでした。
天正5年12月3日、赤松政範は城内で自害。
上月城はこうして落城しました。
【衝撃の史実】秀吉が下した上月城の過酷な処刑(皆殺し)
ドラマの主人公・秀吉といえば「人たらし」で明るく、できるだけ人を殺さずに城を落とすイメージが強いかもしれません。
しかし、この上月城の戦いにおける史実は、そのイメージを覆すほど冷酷でひどいものでした。
城主・赤松政範が命を懸けて降伏したにもかかわらず、秀吉は残された生存者に対して、あまりにも過酷な処分を下したのです。
史実によると、秀吉は城にいた民や女子供を含む200人以上を捕らえ、助けるどころか、全員を磔(はりつけ)や串刺しにして処刑(皆殺し)にしました。
なぜ、普段は命を大切にする秀吉がこれほど残虐なことをしたのでしょうか?
理由は、まだ織田に従っていない周りの播磨の国衆たち(三木城の別所長治など)への「見せしめ(脅し)」です。
「織田に逆らうと、女子供だろうがこうなるぞ」という恐怖を植え付けるための、冷徹な軍事戦略でした。
このあまりに凄惨な光景は、戦いを見ていた小一郎(秀長)たちの心にも、戦争の「非情な現実」として深く突き刺さることになります。
続いて、後半の主役である「山中幸盛(鹿之助)」のパートです。
大河ドラマの公式表記である「山中幸盛」をメインにしつつ、歴史ファンが検索する「山中鹿之助」や「七難八苦」といったお宝キーワードを網羅し、信長・秀吉による「見殺し(見捨てられ)」の悲劇をドラマチックに描いています。そのままコピー&ペーストしてご使用ください!
【後編】尼子再興に命をかけた山中幸盛(山中鹿之助)の運命
赤松政範が悲劇の最期を遂げ、一度は織田方のものとなった上月城。
この血塗られた城を「織田軍の最前線として守れ」と秀吉から任され、新たに入城したのが、大河ドラマ『豊臣兄弟!』で廣瀬友祐さんが演じる山中幸盛です。
大河ドラマで描かれる山中幸盛(鹿之助)の執念と「七難八苦」
ドラマでは本名の「山中幸盛(やまなか ゆきもり)」として登場しますが、歴史ファンには「山中鹿之助(しかのすけ)」または「山中鹿介」の名で広く知られる、戦国屈指の人気武将です。
彼の人生の目的はただ一つ、毛利氏に滅ぼされた主家・尼子(あまご)氏を復活させること(尼子家再興)。
幸盛は、夜空に浮かぶ三日月に「願わくば、我に七難八苦(あらゆる苦難)を与えたまえ。その代わり、主家を再興させてくれ」と祈ったという、熱い執念の持ち主です。
私はこれを知ったとき、山中鹿之助幸盛はM男に違いないとおもいましたよ…。
そしてその後の運命を知ってさらに、かなしくなりました。
織田信長や秀吉の手を借りることで、ようやく尼子復活のチャンスを掴んだ幸盛たちは、大喜びで上月城に入城し、再び尼子の旗を掲げました。
毛利軍の包囲と信長・秀吉の「見殺し」の真相
しかし、尼子の復活を絶対に許さない毛利氏は、今度は総勢数万という圧倒的な大軍で上月城を包囲します。
上月城に孤立した山中幸盛たちは、必死に「秀吉様、助けてください!」と救援を求めます。
秀吉や小一郎(秀長)も、仲間である幸盛たちを救うために出陣しようとしました。
ここで、冷酷な命令を下したのが織田信長です。
信長は、別の大勢力である「三木城の別所長治」の謀反に対応することを最優先とし、「上月城のような小さな城には構うな。尼子を見捨てて撤退せよ」と秀吉に命じたのです。
主君の絶対命令には逆らえません。秀吉と小一郎は、涙をのんで幸盛たちを見捨て、播磨から撤退。
幸盛たちは、信長と秀吉に事実上「見殺し」にされる形となってしまったのです。
山中幸盛の最期と、無念の暗殺
織田の援軍が来ないと知っても、山中幸盛は諦めずに毛利の大軍を相手に籠城戦を続けました。
しかし、兵糧も尽き、天正6年(1578年)7月、ついに上月城は落城します。
主君の尼子勝久は自害。
幸盛は捕らえられ、毛利の本陣へと連行されることになりました。
毛利側は、これほど執念深い男を生かしておけば、また必ず牙を剥いてくると恐れました。そのため、護送の途中、備中国(現在の岡山県高梁市)の川の近くで、幸盛を不意打ちで暗殺したのです。
主家再興の夢を目前にしながら、味方に裏切られ、敵に暗殺された山中幸盛(鹿之助)。
その凄絶な最期は、日本の歴史において「最高の忠臣の悲劇」として今も語り継がれています。
まとめ:上月城の戦いが『豊臣兄弟!』に与える影響
敵側として散っていった赤松政範の悲劇と、秀吉が下した過酷な皆殺しの決断。 そして、味方でありながら信長の命によって見殺しにされ、無念の最期を遂げた山中幸盛(山中鹿之助)。
この「上月城の戦い」は、単なる一つの城の奪い合いではなく、豊臣兄弟のその後の生き方を決定づける、あまりにも重い戦いでした。
「綺麗事だけでは天下は取れない」という戦争の非情な現実。
兄・秀吉の冷徹な一面や、織田信長という絶対的な存在の恐ろしさを目の当たりにした小一郎(豊臣秀長)は、この惨劇を胸に、どのように兄を支え、激動の戦国時代を生き抜いていくのでしょうか。
6月7日放送の『豊臣兄弟!』では、この2人の武将の生き様と、上月城をめぐる人間ドラマがどのように描かれるのか、固唾をのんで見守りましょう!