「遠山の金さん」といえば、桜吹雪の刺青をまとい、江戸の悪を一刀両断する名奉行――そんな痛快なイメージを思い浮かべる人が多いでしょう。
しかし、もしその遠山景元が、コーヒーを口にしていたとしたらどうでしょうか。
甘くもなく、香ばしいとも言い切れない、黒く苦い異国の飲み物。
現代では当たり前の存在であるコーヒーですが、江戸時代にはごく一部の富裕層・知識層しか触れることのできない、きわめて珍しい嗜好品でした。
実は、遠山景元の父・遠山景晋は長崎奉行を務めた人物であり、オランダ人との交流があった出島とも深い関わりを持っていました。
そのため、「景元もまた、父を通じてコーヒーを飲んでいたのではないか」という説が、俗伝として語られることがあります。
もっとも、遠山景元本人がコーヒーを飲んでいたことを直接示す史料は残っていません。
本記事では、史実と推測を丁寧に分けながら、遠山景元とコーヒーの意外な関係性を、江戸時代の文化背景とともに読み解いていきます。
遠山景元(遠山金四郎)は実在の人物だった
「遠山の金さん」として知られる遠山景元(とおやま かげもと)は、架空のヒーローではなく、実在した江戸時代後期の幕臣です。
寛保3年(1742年)に生まれ、天保年間には江戸南町奉行を務めた、れっきとした幕府の高級官僚でした。
時代劇や講談の影響から、「遊び人」「不良旗本」「素行の悪い若者」といったイメージが強く残っていますが、史料に基づく実像はそれとは大きく異なります。
実際の遠山景元は、町奉行として訴訟や治安維持に真面目に取り組んだ人物であり、放蕩や乱行を裏付ける同時代史料は確認されていません。
いわゆる「遊び人金さん」像は、明治以降の講談や大衆娯楽の中で作られた創作的なキャラクターです。
庶民に親しまれるヒーロー像を作るため、
・若い頃は素行不良
・町人文化に通じている
・裏表のある人物
といった設定が後付けされていきました。
史実の遠山景元はむしろ、
教養と家柄を備えた、幕府官僚としての典型的な人物像に近い存在だったと考えられています。
「不良ではなかった」からこそ浮かび上がる意外な嗜好
この「真面目な役人だった」という点は、遠山景元とコーヒーの関係を考えるうえで、実は重要な意味を持ちます。
父・遠山景晋は長崎奉行を務め、出島を通じてオランダ人と接する立場にありました。
当時の長崎は、西洋医学や蘭学、そしてコーヒーを含む舶来品が集まる、日本で最も国際色の強い場所です。
そのような家庭環境で育った遠山景元が、
父からもたらされた異国の飲み物――苦く黒いコーヒーを口にしていたとしても、不自然ではありません。
ここで重要なのは、
「遊び人だから珍しいものに手を出した」のではなく、
教養ある幕臣の家に生まれたからこそ、西洋文化に触れる機会があった
と捉える点です。
不良ではなく、むしろ堅実な官僚だった。
その一方で、当時としては最先端の異国文化に触れていた可能性がある――
このギャップこそが、遠山景元という人物をより立体的に見えてきませんか?
父・遠山景晋と長崎奉行という立場
遠山景元がコーヒーを口にしていた可能性を考えるうえで、欠かせない人物がいます。
それが、父である遠山景晋(とおやま かげくに)です。
遠山景晋は幕臣として要職を歴任し、長崎奉行という重要な役職に就いていました。
長崎奉行は、鎖国体制下において唯一西洋と公式に接点を持つ「出島」を管理する立場であり、
オランダ商館との交渉や、舶来品の監督を担う、きわめて情報量の多い役職でした。
当時の日本に入ってくる西洋文化や物資の多くは、まず長崎に集まります。
医学書、天文学、測量技術、薬品、そして嗜好品――
それらは、長崎奉行やその周辺の知識層を通じて、徐々に江戸へと伝わっていきました。
出島とオランダ人がもたらした「異国の飲み物」
出島に滞在していたオランダ人たちは、
ワインや蒸留酒だけでなく、コーヒーも日常的に口にしていたと考えられています。
当時の日本人にとってコーヒーは、
・黒く
・苦く
・香りも独特
という、きわめて異質な飲み物でした。
そのため、一般の町人が気軽に飲めるものではなく、
蘭学者や医師、幕府関係者など、限られた層だけが知る存在だったのです。
長崎奉行という立場にあった遠山景晋は、
そうしたオランダ人の生活文化や嗜好に触れる機会を持っていたと考えられます。
実際、同時代の記録には、舶来の飲食物を「薬用」あるいは「珍奇なもの」として扱った例も見られます。
父から江戸へ伝わる舶来文化
遠山景晋が長崎奉行として入手、あるいは目にした舶来品が、
江戸の屋敷へ持ち帰られた可能性は十分にあります。
それは決して商業目的ではなく、
・見聞を広めるため
・医療や学問の参考として
・家族や近親者への土産として
といった、ごく私的な形だったと考えられます。
このような背景を踏まえると、
遠山景元が父を通じて、
「異国の黒い飲み物」としてコーヒーに触れていた、
あるいは一度は口にしていた可能性は、歴史的に見て不自然ではありません。
史料がなくても「接点」は確かに存在する
もちろん、
「遠山景晋がコーヒーを愛飲していた」
「それを景元が飲んでいた」
と断定できる一次史料は残っていません。
しかし、
・長崎奉行という職務
・出島とオランダ人との接触
・当時すでにコーヒーが日本に存在していた事実
これらを重ね合わせると、
遠山家とコーヒーのあいだには、確かな“接点”が存在していたと考えることができます。
それは後世の講談が作り出した「派手な遊び人像」とは異なる、
静かで知的な異文化接触だったのかもしれません。
どんな顔して遠山の金さんはコーヒーを飲んだのかなって思ったら笑えて来ませんか?
江戸時代にコーヒーは存在していたのか
結論から言えば、江戸時代後期には、すでに日本にコーヒーは存在していました。
ただし、それは現代のように嗜好品として広く楽しまれていたものではなく、
ごく限られた知識層だけが知る「異国の飲み物」でした。
江戸時代、日本が西洋文化と公式に接していた唯一の窓口が、長崎の出島です。
ここを通じて伝わったのが、医学や天文学といった学問分野、いわゆる蘭学でした。
コーヒーもまた、その流れの中で日本に伝えられた西洋文化の一つと考えられています。
コーヒーは「嗜好品」ではなく「薬」に近い存在だった
当時の日本人にとって、コーヒーは
・香りを楽しむ飲み物
・リラックスするための嗜好品
というよりも、薬効のある異国の飲み物として認識されていました。
実際、蘭学関係の記録では、
コーヒーは「身体を覚醒させる」「眠気を払う」といった効能を持つものとして紹介されることがあります。
味についての評価も、現代とは大きく異なります。
砂糖やミルクを加える習慣はほとんどなく、
「黒く、非常に苦い飲み物」
として記録されることが多く、
好んで飲むというよりも、「試しに口にする」「効能を確かめる」といった位置づけでした。
吉雄耕牛という“確実な実例”
江戸時代にコーヒーを飲んでいた人物として、しばしば名前が挙がるのが、
吉雄耕牛(よしお こうぎゅう)です。
吉雄耕牛は、長崎通詞としてオランダ語に精通し、
医学や博物学など、西洋知識の受容に大きな役割を果たした人物でした。
彼はオランダ人の生活文化にも深く触れており、
その一環としてコーヒーを飲んでいたことが比較的確実視されています。
この事実は、「江戸時代の日本人がコーヒーを知らなかった」という通説を覆す、重要な例です。
知識層に限定された「苦い黒い飲み物」
ただし、吉雄耕牛のような人物はあくまで例外的な存在でした。
江戸の町人や農民が日常的にコーヒーを飲んでいたわけではありません。
コーヒーは、
・長崎奉行
・通詞
・蘭学者
・幕府関係者
といった、西洋文化と接点を持つごく限られた層の間でのみ知られていた飲み物だったのです。
そのため、当時の日本においてコーヒーは、
「おいしいから飲むもの」ではなく、
未知の文化を体験する象徴的な存在だったと言えるでしょう。
遠山景元の時代と重なる“コーヒーの受容期”
遠山景元が生きた18世紀後半から19世紀前半は、
まさにこうした西洋文化が、知識層を中心に少しずつ広がり始めた時期にあたります。
吉雄耕牛のような人物がすでにコーヒーを口にしていた以上、
長崎奉行経験者の家系に生まれた遠山景元が、
同じようにコーヒーに触れていた可能性を考えることは、
決して突飛な想像ではありません。
この時代背景を踏まえることで、
「遠山景元はコーヒーを飲んでいたのか?」という問いは、
単なる奇抜な噂話ではなく、歴史的文脈の中で検討すべきテーマとして浮かび上がってきます。
なぜ「金さんとコーヒー」は語られてこなかったのか
遠山景元とコーヒーの関係が、これまでほとんど語られてこなかったのには、明確な理由があります。
それは、私たちが思い浮かべる「遠山の金さん像」そのものが、史実ではなくフィクションによって形作られてきたからです。
時代劇が作り上げた「分かりやすい金さん」
講談や時代劇の世界で描かれる遠山の金さんは、
・江戸の町を気ままに歩き
・庶民と酒を酌み交わし
・弱者の味方として活躍する
という、非常に分かりやすいヒーロー像です。
この金さん像に、
「舶来の黒く苦い飲み物を口にする奉行」
という要素は、どう考えてもなじみません。
時代劇が求めたのは、
庶民が感情移入しやすい存在であり、
異国文化に親しむ知識人としての奉行ではなかったのです。
庶民像へと脚色されていった実在人物
実在の遠山景元は、幕府官僚としての顔を持つ人物でした。
しかし大衆文化の中では、
・教養
・家柄
・西洋文化との接点
といった要素は削ぎ落とされ、
代わりに「庶民の代表」としての物語性が強調されていきました。
その結果、
コーヒーのような異国的で知的な嗜好は、
物語の中から自然と排除されていったのです。
これは遠山景元に限らず、
多くの歴史人物が辿った道でもあります。
実像よりも、物語としての分かりやすさが優先されたとき、
細やかな日常や個人的な嗜好は、語られなくなっていきます。
まとめ:語られなかった「静かな歴史」
ここで一つ、あえて言えることがあります。
遠山景元がもしコーヒーを飲んでいたとしても、
それは決して人に語るほどの出来事ではなかったはずです。
派手な事件でもなく、
物語になるような逸話でもない。
ただ、異国の飲み物を試してみただけの、静かな時間。
しかし、歴史とは本来、そうした名もなき日常の積み重ねでもあります。
私たちは英雄譚や痛快な物語ばかりに目を向けがちですが、
その裏側には、記録にも物語にも残らなかった無数の「普通の時間」が存在しています。
「金さんとコーヒー」が語られてこなかったのは、
それが地味だったからでも、あり得なかったからでもなく、
物語として必要とされなかっただけなのかもしれません。
史実とフィクションを分けて楽しむ江戸人物史
遠山景元は、確かに実在した江戸時代の町奉行です。
一方で、「遠山の金さん」という存在は、
講談や時代劇の中で育てられた、魅力的なフィクションでもあります。
どちらが正しい、どちらが間違っている、という話ではありません。
史実を知ったうえでフィクションを楽しむこともできるし、
フィクションをきっかけに史実へと関心を深めることもできます。
大切なのは、
史実と創作をきちんと分けて見る視点を持つことです。
遠山景元とコーヒーの関係も、その延長線上にあります。
断定はできない。
けれど、時代背景を考えれば、十分に想像できる。
その「あいだ」を丁寧に見つめることで、
江戸人物史はより立体的で、身近なものになります。
歴史は、決して教科書の中だけにあるものではありません。
一人の人物がどんな環境で、どんな日常を送っていたのか。
そこに思いを巡らせることもまた、歴史を楽しむ一つの方法なのです。
なお、江戸時代に伝わったコーヒーは、
現代のような甘い嗜好品ではなく、
「苦く、黒い、異国の飲み物」だったと考えられています。
その感覚を、現代のコーヒーで少しだけ追体験できるものとして、
練乳を使わないベトナムコーヒーについて別ブログで触れました。
興味のある方は、そちらも参考にしてみてください。
→ベトナムコーヒーは練乳なしでも飲める?ブラックで美味しい高品質豆のヒミツ