歴史の一歩
その史実は本当に真実だと思いますか?
人物・戦国時代

秀吉は若い頃から“嫌なやつ”?生い立ち・性格・市の方との確執から見える本当の人物像

秀吉は若い頃から“嫌なやつ”だったのでしょうか

豊臣秀吉といえば、「農民から天下人へと出世した英雄」という明るいイメージで語られがちです。
しかし史料を丁寧に読み込むと、若い頃の秀吉にはヒーロー像とは異なる“人間臭い側面”が多数見えてきます。

特に晩年の悪行ともいえる行動には人が変わってしまったのか?とか、痴ほう症だったのか?とかいろいり言われています。
でも私はそうではなくて、秀吉って昔から嫌な奴でそれは権力を持ってさらに年をとってそれを隠そうとしなかったから、晩年の悪行に見えただけなんじゃないかと思うんですよね。

その性格を表すとして具体的には、

・計算高さ
・強い劣等感
・虚勢
・目的のために人を利用する行動
・身分や高貴な世界への強烈な執着

といった特徴が、若い頃から表れているように思います。

 

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愛想の良さは生まれつきではなく“戦略”だった可能性

若年期の秀吉は「愛嬌がある」「気さく」と評されていますが、同時に
「相手の懐に入るのがうまい」「目的のために計算しながら動く」
といった証言も存在しています。

つまり秀吉の愛想の良さは、もともとの性格というより、
自分を大きく見せるための処世術だった可能性が高い
と言えます。

劣等感と自己顕示欲は若い頃から強かった

若い頃の秀吉の行動には、
「自分は見下されてきた」という深い劣等感
と、
「その劣等感を覆したい」という強烈な自己顕示欲
が常に存在しています。

劣等感 → 執着 → 相手を支配したい
という行動原理は、若年期から晩年まで一貫していました。

生い立ちと家庭環境が生んだ“強い劣等感”

秀吉の家庭は貧しく、身分も低く、幼少期から差別や軽蔑を受ける生活だったと思うんですよね。

この環境は、
「自分には価値がない」
という深い劣等感を育ててしまいます。

「見下されてきた経験」が人格形成に影響

秀吉は若い頃、

雑役

下人扱い

足軽崩れ

など、社会の最底辺の扱いを受けていました。

こうした経験が秀吉の中に
“いつか見返してやる”という強い動機
を育てる一方で、
劣等感が満たされないまま肥大化し、
支配欲・虚栄心という形に歪んでいく危険性
も同時に抱えていました。

劣等感は野心と歪んだ欲望に分裂

劣等感は努力の原動力にもなりますが、秀吉の性質では

努力と野心を生む部分

虚勢や象徴の収集へ向かう部分
の両面が育っていきました。

後年の「高貴な姫を大量に側室にする」という行動は、その象徴です。

出世後に表面化した“身分コンプレックス”

秀吉が天下人になると、
身分の高い女性・名家・公家文化への執着
が非常に強くなっていきます。

なぜ秀吉は公家の姫を集めたのか

秀吉は、出世した途端に異常なほど公家や名門出身の女性を側室に迎えました。
これは単なる権力誇示というより、
「自分を見下した世界を、権力で手に入れて支配したい」
という心理が見え隠れしているように感じます。

貧民出身として味わった屈辱を、
象徴(高貴な女性)を所有することで乗り越えようとした
と考えられます。

まさしく、コレクションにしたかったと思うんです。

それがあることで今の自分の地位に対して安心感を得られたんじゃないか・・・。

そう考えると姫君たちの屈辱は計り知れないですね。

女性集めは“心の復讐”だった

秀吉の側室政策は、政治目的より
劣等感から生じる自尊心の補填
という部分が強いように見えます。
これはうがった見方かもしれないんですが、私にはそう見えて仕方ないんですよね。

これは急激な成り上がりを経験した人物に見られる典型的な行動です。

市の方が秀吉を嫌った理由とは?

それはずばり 価値観が真逆だったため
です。

私はここで秀吉が嫌な人物だったという点を市の方との関係性をもとに考えてみます。

市(信長の妹・浅井長政の妻)は一般に「気が強い女性」のように描かれがちですが、実際はまったく逆で、
品格・誠実・筋の通った相手を重視する女性
でした。

市は“誰にでも冷たかった”のではなく、
「誠実な相手には深い情を示し、軽薄な相手には距離を置く」
という非常にわかりやすい価値観を持っていたんではないかと思うのです。

市は誠実な人物には深い情を示す女性だった

市は、

浅井長政

柴田勝家
といった誠実で義を重んじる男性に深い尊敬と愛情を示しています。

つまり市は、
「信用できる相手」には非常に優しく情の深い女性
だったことが分かります。

市が秀吉を嫌ったのは相性が悪いのではなく“人格の問題”

市が秀吉を拒絶したのは、秀吉が

計算高い

虚勢が強い

品格より自己顕示

という、市の価値観と真逆の性質を持っていたからです。

市にとって秀吉は、
「軽薄で信用できないタイプ」
に見えた可能性が非常に高いと言えます。

市が秀吉“だけを嫌った”のではなく、嫌う理由が明確だった

重要なのはここです。

市は誰彼かまわず嫌う人物ではなく、
「相手の品格と誠実さ」を判断基準にしていた
という点です。

つまり、市が秀吉を嫌ったのは性格的に気難しかったからではなく、
“秀吉という人物そのものが市の価値観と根本的に合わなかった”
というだけのことです。

市の方とねね(北政所)の関係は悪くなかった?

興味深いのは、市が秀吉を嫌っても、秀吉の妻であるねね(北政所)とは対立しなかったという点です。
秀吉が城を持つ大名になって、ねねと市が対応することが増えてくると思うんですが、その対立などは一切記載になかった・・・という点を考えると市にとってねねは大丈夫だったということになると思うんですよね。

ねねは誠実で信頼できる女性だった

ねねは、

誠実

社交的

相手を立てる

裏表がない

という性質で知られています。
市にとって衝突する要素がありません。

市は女性同士の関係を重んじるタイプ

市は家族や姉妹を非常に大切にする女性です。
そのため、同じ“誠実な女性”であるねねを嫌う理由はなかったと考えられます。

市とねねは“自然で良好な距離感”だった

何度も言いますが、史料には市とねねの不仲を示す記録はありません。
むしろ、ねねは秀吉の欠点をよく理解していた人物であり、市から見ても「苦労しているだろう」と共感できた可能性があります。

若い頃の秀吉は“成功して変わった”のではなく、最初から危うかった

今までのことを考えると、一般的には「秀吉は晩年におかしくなった」と言われますが、実際には
若い頃から危うい性質が存在し、それが権力を得たことで肥大化しただけ
と考えた方が自然です。
秀吉は若い時から「アタオカ」だった可能性が大きいんじゃないかと思うんですよね。

だからこそ、秀吉には秀長が絶対的に必要だったんだと思います。そしてそれが結果的に豊臣家の繁栄になったんです。

さらにいえば、秀長がいなくなったことで、豊臣家の終焉につながったということだと思います。

行動原理は若年期から晩年まで一貫していた

若年期:劣等感
中年期:劣等感を補填するための自己顕示
晩年:象徴(高貴な女性・朝廷文化)への支配欲

この流れは一本の線でつながっています。

市は秀吉の“本質”を見抜いていた

市が秀吉に距離を置いたのは、
「成功した秀吉を嫌った」わけではなく、
若い頃から秀吉の持つ危うさを敏感に感じ取っていた
と解釈できます。

秀吉の本質が大嫌いだったんでしょうね。

実は私は市ではないですが、昔から秀吉が好きになれず・・・。

まとめ:秀吉の若い頃の“本質”と、市の方の確かな“人を見る眼”

豊臣秀吉と市の方の関係を改めて丁寧に振り返ると、そこには従来の歴史理解では語られにくかった“人間同士の価値観の違い”がはっきり浮かび上がってきます。

秀吉は、幼少期からの貧しさ・劣等感・身分差別の中で生きてきたことで、
強烈な上昇志向と、同時に満たされない自己顕示欲を抱える人物へと育っていきました。
その性質は若い頃から確かに存在しており、後年の側室政策や高貴な世界への執着は、その延長線上にあったと考えられます。

一方、市の方は、
誠実さや品格を極めて重視し、筋の通った人物には深い情を示す女性
でした。
浅井長政や柴田勝家への態度からも、市が「相手の内面」を見て判断していたことが明らかです。

こうして二人の人物像を対照させると、
市が秀吉に強い拒否感を示した理由は“相性が悪かった”という単純なものではなく、
価値観・生き方・人格における根本的な不一致によるものだった
と理解できます。

秀吉の持つ虚勢や計算高さは、市の重んじる「誠実さ」とはまったく異なる方向性にありました。
市は決して気難しい女性ではなく、むしろ人を見る目が鋭く、信頼に足る人物には深い尊敬と愛情を向ける女性でした。
その市が秀吉を避けたという事実は、
市が“秀吉という人物の本質”を早い段階で見抜いていた可能性
を示しています。

そしてこの視点は、
秀吉の生涯を“成功の裏で揺れる人間的な葛藤”として読み解く新たな視点を与えると同時に、
市の方の人物像にも、従来語られてこなかった深い説得力を付与します。

歴史の人物は、英雄や悪役という単純な枠では捉えられません。
それぞれの背景、育ち、価値観の違いがぶつかり合うことで、歴史そのものが動いていきます。
秀吉と市の関係は、時代と性格というものを表しているんじゃないかと思うんです。

もちろんこれは私の想像の世界なんですけどね。