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【NHKべらぼう】西行の辞世の句「願わくば~」を徹底解説!

はじめに

なぜ今、西行の辞世の句が注目されるのか?

後小松院本歌仙絵 西行法師後小松院本歌仙絵 西行法師

最近、西行法師が詠んだ辞世の句、「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ」が、なんだか改めて話題になっています。
この歌が人々の心を引きつけるのは、ただ美しいだけでなく、その背景にある西行法師の深い考え方や生き方そのものが、今の私たちに響くからじゃないでしょうか。
特に、2025年に放送されているNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」で、この歌を福原さん演じる誰袖が口ずさむ歌で、それが悲恋を連想させる伏線で…という話もあって、それで西行という歌人や、この歌に込められた意味に関心が集まっているんです。

変化の激しい現代社会で、世俗から離れて自然と向き合い、死とどう向き合うかを考え続けた西行法師の生き方は、私たちに心のゆとりや、本当に大切なことは何か、といった気づきをたくさん与えてくれているように感じています。
この歌は、死を受け入れ、自分の最期を桜が散る自然の姿と重ね合わせた、とても穏やかで達観した境地を表しており、今を生きる私たちにも色々なことを考えさせてくれるはずです。

西行法師とは?波乱に満ちた生涯と歌人としての足跡

出家前のエリート武士「佐藤義清」

西行法師は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した、日本を代表する歌僧です。出家する前は、京都の佐藤氏という武士の一族に生まれ、佐藤義清(さとうのりきよ)という名前でした。
彼はもともと、鳥羽上皇の北面の武士、つまり天皇を警護するエリート集団の一員だったようです。
弓馬に優れ、歌の才能もあったと言われています。
まさに文武両道の有望な若者で、順風満帆な人生を送るはずでした。

突如の出家と漂泊の旅

ところが、保延6年(1140年)、23歳という若さで突然出家し、西行と名乗ります。
この突然の出家には諸説ありますが、当時の世の無常を感じたから、あるいは何らかの深い悲しみがあったから、とも言われています。
出家後は、特定の寺院に定住せず、全国各地を旅する「漂泊の旅」を続けました。
吉野の山桜に魅せられたり、高野山に庵を結んだり、遠く陸奥(東北地方)まで足を延ばしたりと、その旅は生涯に及びました。

歌人としての西行法師と後世への影響

西行は、旅の中で見た風景や感じたことを数多くの歌に残しました。
特に、桜や月など自然を詠んだ歌には定評があり、その歌風は後の時代に大きな影響を与えました。
彼の歌は『山家集(さんかしゅう)』という私家集にまとめられ、また勅撰和歌集にも多くの歌が採用されています。
今回の「ねがわくば~」はその歌集におさめられた一文です。
西行の歌は、単なる情景描写にとどまらず、その奥に仏教的な無常観や、人生に対する深い洞察が込められているのが特徴です。
やはり死と隣り合わせだったリアルな死を見てきたかもしれない障害があったからこその表現者だったんだなと思います。
死後は歌聖として尊敬され、松尾芭蕉など後世の多くの文学者にも影響を与え続けました。

「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ」歌の原文と現代語訳

歌の原文と読み方

西行法師の代表的な辞世の句として知られるこの歌は、彼が自身の最期を願った一首です。

願わくば 花の下にて 春死なん
(ねがわくば はなの もとにて はる しなん)

その如月の 望月のころ
(その きさらぎの もちづきの ころ)

歌の現代語訳

この歌は、次のような現代語訳になります。

「どうか、桜の花が咲き誇る春の盛り、その下で死を迎えたいものだ。
それも、旧暦の二月、ちょうど満月が空に輝く頃に。」

この歌には、西行が仏教の教え、特に釈迦入滅の日に深い思いを馳せながら、自身の死を自然の循環、とりわけ桜の散り際という美しい瞬間に重ね合わせたいという願いが込められています。
そして実際に西行法師は2月16日に亡くなったとされています。

辞世の句に込められた意味(ふかぼり編):涅槃と桜の関連性

涅槃への憧れと釈迦入滅の日

西行法師の辞世の句、
「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ」
の核心には、仏教における「涅槃(ねはん)」という概念への深い憧れが込められているとされています。
涅槃とは、煩悩が消滅し、迷いや苦しみから完全に解放された、究極の安らぎの境地のことを指すようです。

歌の中の「如月の望月のころ」という表現は、単なる旧暦二月の満月の日を指すだけでなく、仏教において非常に重要な意味を持っています。
それは、仏陀、すなわちお釈迦様が入滅(にゅうめつ)された日が、旧暦の二月十五日とされているからです。
西行法師は、自身の死をお釈迦様の涅槃の日と同じにしたい、という強い願いを持っていたと考えられます。
これは、単に偶然を願うのではなく、自らも悟りの境地に至り、煩悩から解脱した状態で最期を迎えたいという、求道者としての切実な思いの表れと言えるでしょう。

桜に託された美意識と無常観

そして、この歌のもう一つの重要な要素が「花の下」、つまり桜です。
桜は、日本の美意識において古くから特別な存在であり、その儚くも美しい散り際が、人生の無常や命の尊さを象徴してきました。
その美意識が西行法師の生きた時代にもあったのかと考えさせられます。
日本人はどんだけ昔から桜が好きなんだろうって思います。

西行法師は、桜をこよなく愛し、多くの歌に詠んでいます。
彼にとって桜は、ただ美しい花というだけでなく、生と死、そして輪廻転生といった仏教的な思想と深く結びついていました。
満開の華やかさから、はらはらと潔く散っていく桜の姿に、彼は命の終わり、そして新たな始まりを見出していたのかもしれません。

自身の死を、最も愛する桜が満開の時期、しかも潔く散っていくその瞬間と重ね合わせることで、西行は死を単なる終わりではなく、自然の循環の一部として、そして美しく尊いものとして捉えようとしました。これは、仏教的な無常観を深く理解しつつも、それを悲観的に受け止めるのではなく、むしろ美として昇華させようとする、西行ならではの境地と言えるでしょう。

涅槃と桜の融合:究極の境地

この辞世の句は、「涅槃」という仏教的な理想と、「桜」という日本の伝統的な美意識が見事に融合したものです。お釈迦様が悟りを開き、涅槃に入った日に、自身も桜の散る美しさの中で往生したいという願いは、西行が求めた究極の境地を表しています。それは、煩悩から解脱し、自然と一体となって穏やかに死を迎えるという、西行法師の生き様と信仰が凝縮された、まさに魂の歌なのです。この歌は、死を恐れるのではなく、生命のサイクルの一部として受け入れ、美しく昇華させようとした西行の、達観した精神世界を私たちに伝えています。

「如月の望月」とはいつ?西行の入滅日(なくなった日)

「如月の望月」が指し示す日

西行法師が辞世の句で詠んだ「その如月の望月のころ」という言葉は、具体的にいつの日を指しているのでしょうか。
ここでの「如月(きさらぎ)」は旧暦の2月を意味し、「望月(もちづき)」は満月、つまりその月の15日のことを指します。
したがって、「如月の望月」とは、旧暦2月15日を意味します。

実はこの旧暦2月15日という日は、仏教においてすごく重要な意味を持つ日です。
それは、仏教の開祖であるお釈迦様(釈迦牟尼仏)が入滅(にゅうめつ)・・・された日とされているからです。
入滅とは、煩悩をすべて断ち切り、迷いの世界から完全に解脱して涅槃に入ること、つまり仏陀が亡くなられたことを指します。
毎年、この日には全国の寺院で「涅槃会(ねはんえ)」という法要が営まれ、お釈迦様の遺徳を偲びます。

西行の願いと実際の入滅日

西行は、まさしくこの「如月の望月」の日に、桜の下で死を迎えたいと願いました。
これは、単に美しい情景の中での死を願っただけでなく、お釈迦様と同じ日に、悟りの境地でこの世を去りたいという、求道者としての強い願いが込められていたと考えられます。

そして、驚くべきことに、西行は文治6年(1190年)旧暦2月16日に、河内国(現在の大阪府河南町)の弘川寺で入滅したと伝えられています。
これは、彼が歌で願った「如月の望月(15日)」の、わずか一日違いです。このことから、西行はまさに自身の願いを叶えたかのようにこの世を去ったとされ、その歌がさらに神秘性を帯びることとなりました。

当時の旧暦2月16日が満月であった可能性も指摘されており、まさに「その如月の望月のころ」に、桜の咲く春の季節に旅立ったと言えるでしょう。
願望通りに死ぬことができて西行法師も満足な結果だったでしょう。

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」と西行

「べらぼう」における西行の歌の登場

2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」は、江戸時代の出版文化を牽引した蔦屋重三郎の生涯を描く作品です。
一見すると、平安時代末期から鎌倉時代初期を生きた西行法師とは時代も背景もちがいます。
しかし、このドラマでは、西行の詠んだ「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ」という歌が、重要な場面で登場します。

具体的には、主要登場人物の一人である誰袖(たがそで)が、田沼意次の嫡男である田沼意知(たぬまおきとも)との間に芽生えるロマンスの中で、この歌を詠むとされています。
本来、仏教的な悟りや往生を願う西行の辞世の句が、まさかの恋愛の場面で使われるというのは、視聴者にとってもとても印象的な演出となりました。

悲恋の伏線としての西行の歌

誰袖がこの歌を口にする背景には、単なる美しい恋の描写に留まらない、より深い意味を予していました。
この西行の歌は、通常、死を達観し、涅槃への憧れを詠んだ歌として知られています。
それを、希望に満ちたはずのロマンスの場面で用いることは、暗示的であり、まさに悲恋の伏線として考えられました。

桜が潔く散るように、あるいは如月の満月がやがて欠けるように、美しく儚いものが終わりを迎えることの象徴として、この歌が選ばれたのかもしれません。
誰袖と田沼意知の間の恋が、時代や立場の違い、あるいは運命によって、成就することなく悲劇的な結末を迎えることを、西行の歌が予言しているかのように感じていました。

べらぼうではこの後、田沼家はかなり厳しい状況に追い込まれていきます。
それを予感させるこの西行法師の歌にはつらいものを感じています。

西行の辞世の句が後世に与えた影響と文学的価値

歌仙としての地位確立と芭蕉への影響

西行法師の「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ」という辞世の句は、単なる個人の願いを超え、後世の文学、特に歌の世界に大きな影響を与えました。この歌は、西行が自身の人生観と仏教的な思想を、日本人が愛する桜と結びつけて表現した最高傑作の一つとして、彼の歌人としての地位を高めたんじゃないかと思います。
彼は、「新古今和歌集」をはじめとする勅撰和歌集に多くの歌が選ばれ、後世には歌聖と称される存在となります。

特に、江戸時代の俳聖である松尾芭蕉は、西行を深く尊敬し、その旅と歌に大きな影響を受けた言われています。
芭蕉の代表作である『おくのほそ道』には、西行がかつて旅した奥州の地を訪れる場面が随所に描かれ、西行の歌境や生き方に強く共感する様子がうかがえます。
それってまるで今の聖地巡礼みたいなものですよね。
それくらい芭蕉は西行法師のファンだったんだなと思っています。
芭蕉は、西行の歌に込められた無常観や自然との一体感を、自身の俳諧に取り入れ、「さび」「わび」といった幽玄な美意識を追求したともいわれていて、西行のこの辞世の句は、芭蕉の「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」といった句にも通じる、死生観の表出として影響を与えたと考えられます。

日本人の死生観・美意識への浸透

西行法師のこの辞世の句は、日本人の持つ独特の死生観や美意識に深く浸透しました。
桜の盛りの美しさと、潔く散っていく儚さを重ね合わせることで、死を悲劇的なものとしてではなく、自然の循環の一部として受け入れる思想が、この歌を通じて広く共有されるようになりました。

また、「如月の望月」、すなわちお釈迦様入滅の日に自らの死を重ねるという願いは、仏教的な往生への憧れを強く示しています。
これは、単なる信仰に留まらず、日本人特有の「散り際を美しいとする感性」や「無常観」といった精神性を象徴する歌として、文学作品のみならず、絵画や演劇など様々な芸術分野に影響を与えました。

文学的価値:普遍性と時代を超えた共感

この辞世の句の文学的価値は、その普遍性にあります。人は誰しも死を避けられない存在であり、どのように生きて、どのように死にたいかという問いは、時代や文化を超えて共通のものです。
西行法師は、この歌を通じて、その普遍的な問いに対し、自分なりの美しい答えを提示しました。

桜と仏教という、日本文化の二つの重要な要素を巧みに結びつけることで、この歌は時を超えて多くの人々の共感を呼び続けています。
単なる技巧的な和歌としてだけでなく、西行の魂の叫び、あるいは悟りの境地を垣間見せる歌として、今日に至るまで多くの人々に読み継がれ、その美しさと深遠な意味を伝え続けています。
私も好きな歌です。
日本人はこういうはかない死生観が大好きなんだと思います。

まとめ:西行の歌が現代に語りかけるメッセージ

西行法師の辞世の句「願わくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ」は、単なる美しい和歌としてだけでなく、現代を生きる私たちに多くの大切なメッセージになったような気がします。
それは今回のべらぼうの伏線を感じているときに思いました。

この歌は、死を恐れるのではなく、自然のサイクルの一部として受け入れるという、達観した死生観を示しています。
終わりをただ悲しいものと捉えるのではなく、桜が散る美しさや、お釈迦様が入滅されたという聖なる日に重ね合わせることで、死を昇華させようとする西行の姿は、私たちに「いかに生き、いかに死ぬか」という普遍的な問いを投げかけます。

また、世俗を離れて漂泊の旅を続けた西行の生き方は、物質的な豊かさだけではない心の充足を教えてくれます。
自然と向き合い、その中で美を見出し、歌にすることで精神的な豊かさを追求した彼の姿勢は、情報過多でストレスの多い現代社会において、立ち止まって自分と向き合うことの大切さを思い出させてくれるでしょう。

そして、2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」でこの歌が使われることで、その多面的な解釈の可能性も示されました。悲恋の伏線として引用されることで、この歌が持つ「儚さ」や「無常」といった側面が強調され、西行の歌が持つ普遍的なテーマが、時代や文脈を超えて人々の感情に訴えかける力があることを改めて証明しています。

西行の辞世の句は、私たちに死を見つめ、生を豊かにするヒントを与え、そして文化や時代を超えて歌が持つ力、言葉の深遠さを教えてくれる、まさに現代にも響くメッセージに満ちた歌だと言えるでしょう。