2027年の大河ドラマ『逆賊の幕臣』で、俳優の北村有起哉が演じることで注目を集めている小栗忠高。
主人公・小栗忠順の父として描かれる人物ですが、史料は少なく、その実像はあまり知られていません。
本記事では、小栗忠高とはどんな人物だったのか、父としての人物像と史実を中心にわかりやすく解説します。
小栗忠高とはどんな人?基本プロフィール
小栗忠順の父として知られる幕臣
小栗忠高(おぐり ただたか)は、幕末に活躍した幕臣
小栗忠順 の父として知られる旗本です。
忠順が勘定奉行として幕府の近代化政策を主導し、横須賀製鉄所建設などを推進したことで歴史に名を残したのに対し、父・忠高は政治の表舞台に立つことはほとんどありませんでした。
そのため、詳細な事績は多く残っていません。
しかし、忠順を育てた家庭環境や教育方針を考えるうえで、忠高の存在は欠かせません。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』では、俳優の
北村有起哉 さんが忠高を演じる予定とされ、これまで脇役的に扱われてきた人物に改めて光が当たろうとしています。
史料上では寡黙で堅実な当主像がうかがえ、派手な功績よりも家を守ることを重んじた幕臣であったと考えられます。
ドラマの中でも昼行燈とかいう設定が表面に見えています。
でもその昼行燈が忠順という人物を育てていくのか?それが面白そうです。
旗本としての立場と家系の概要
小栗忠高は、江戸幕府に仕える旗本の家に婿養子として入り、小栗家の家督を継ぎました。
旗本とは将軍に直属する家臣であり、一定の禄高を与えられた武士身分です。
小栗家は徳川家に古くから仕えた譜代の名家で、代々「又一」の名を継承する家柄として知られていました。
忠高はもともと幕臣
中川忠英 の四男として生まれました。
家督を継ぐ立場ではなかったため、小栗家に迎えられ当主となります。
この家督を継ぐ立場ではなかった・・・とはそのままいても仕事がなく文字通り冷や飯食いの昼行燈だったわけです。
しかし小栗家へ養子となって、名門の家を継ぐ婿養子という立場は、家名を守る責任と重圧を伴うものでした。
そのため忠高は、家の安定と格式を維持することを第一とする、温厚で実直な当主であったと伝えられています。
こうした環境の中で育った忠順が、のちに幕府の中枢で活躍することになるのです。
小栗家への婿養子となった理由と家柄
名門旗本・小栗家とはどんな家だったのか
小栗家は、徳川家に古くから仕えた譜代の旗本であり、江戸幕府の中でも由緒ある家柄として知られていました。
代々「又一(またいち)」の名を継承する家として続いてきたことからも、家名と家格を重んじる伝統的な武家であったことがうかがえます。
旗本の中でも名門とされる家は、単に役職に就くことだけでなく、家の格式や家風を守ること自体が重要な役割でした。
小栗家もまた、派手な軍功よりも堅実な奉公と家の存続を重視する家系であり、当主には安定した統率力と実直さが求められたと考えられます。
そのような家に迎えられる人物には、家格にふさわしい素養と信頼が必要であり、家同士の関係性や人物評価が重視されての婿入りだったんでしょうね。
婿養子として家督を継いだ忠高の立場
小栗忠高は、もともと幕臣
先にも書きましたが、中川忠英 の四男として生まれました。
四男という立場上、実家の家督を継ぐ可能性は低く、武家社会においては他家への養子入りは珍しいことではありませんでした。
こうした背景の中で忠高は小栗家に婿養子として迎えられ、名門旗本の当主という重い立場を担うことになります。
婿養子の当主は、生まれながらの後継者とは異なり、家名を絶やさないことや家中の統率を安定させる役割がより強く求められました。
そのため忠高は、目立った政治的功績を残すというよりも、家の秩序と伝統を守る堅実な当主として振る舞ったと考えられます。
家を絶やさぬように過ごしていたはずです。
温厚で実直とされる人物像は、このような立場から自然に形成されたものであり、名門旗本の家を支える“静かな当主”としての役割を果たしていたのでしょう。
父としての人物像|小栗忠順への教育
「型から外れるな」とされた教育方針
小栗忠高の人物像を考えるうえで重要なのが、父としての教育姿勢です。
史料は多くないものの、忠順の育ち方や学問環境から、忠高が「型」や規律を重んじる教育を行っていた可能性が高いと考えられています。
武家社会においては、家格に見合った立ち居振る舞いや教養が何より重視されました。
とくに名門旗本の当主であった忠高にとって、跡取りである子に対して家の格式を守る人物に育てることは最優先事項だったはずです。
そのため、独自性よりもまずは基礎と規範を身につけさせる、いわば「型から外れるな」という堅実な教育方針が取られていたと見るのが自然でしょう。
また、忠順は儒学者の
安積艮斎 に学んだことでも知られています。
儒学は礼節や秩序、責任感を重んじる学問であり、名門旗本の後継者教育としては極めて典型的な選択でした。
こうした教育環境の整備そのものが、父・忠高の教育観を示しているといえます。
忠順の人物形成に与えた影響
父・忠高のもとで育った
小栗忠順 は、のちに幕府の中枢で実務を担う合理的な官僚として頭角を現します。
感情論ではなく制度や現実を重視する姿勢は、幼少期から培われた規律重視の教育と無関係ではないでしょう。
忠順は大胆な近代化政策を推進した人物として知られますが、その根底には武家としての責任感や秩序意識が強く見られます。
これは、自由奔放な教育というよりも、基礎を徹底して身につけさせる家庭環境の中で形成された人格とも解釈できます。
また、温厚で実直な当主とされる忠高の姿は、表に立つことよりも役割を着実に果たすという武家の理想像に重なります。
そうした父の背中を見て育ったことが、忠順の冷静さや職務への強い責任感につながった可能性も考えられます。
記録に残る功績こそ多くはないものの、忠高は名門旗本の当主として家庭と教育環境を整え、結果的に幕末を代表する幕臣を育てた父だったのかなと思います。
史料が少ない理由と歴史的評価
なぜ記録がほとんど残っていないのか
小栗忠高についての記録が少ない最大の理由は、歴史の表舞台に立つ機会が限られていた点にあります。
幕末史において注目されるのは、政治改革や外交、軍事などで大きな役割を果たした人物が中心であり、家の運営や教育に重きを置いた当主は史料として残りにくい傾向があります。
とくに忠高は、幕政の中枢で活躍した人物ではなく、名門旗本の当主として家を守る立場にありました。
こうした役割は武家社会において重要でありながら、公式記録や後世の史書に詳しく記されることは多くありません。
その結果、同じ小栗家の人物であっても、幕末に大きな足跡を残した
小栗忠順 に比べ、父・忠高の具体的な事績は断片的・・・まったく伝わっていないのです。
また、江戸後期の旗本層は、日常的な行政や家政の維持を担う存在であり、特筆すべき事件に関与しない限り詳細な記録が残りにくいという史料上の構造的な問題もあります。
忠高のように堅実に家を維持した当主ほど、逆に史料上では目立たない存在になりやすかったんですね。
真面目に日々のお勤めを過ごす毎日。これではなかなか表舞台に立つことはむずかしいですよね。
「主役の父」として再注目される存在
近年、小栗忠高は「幕末の重要人物の父」という視点から再評価されつつあります。
とくに
小栗忠順 の人物形成を考えるうえで、どのような家庭環境で育ったのかという点に関心が集まるようになってきました。
大河ドラマ『逆賊の幕臣』で忠高が描かれることにより、これまで脇役的に扱われてきた存在にも光が当たる可能性があります。
歴史作品では、主役を支えた家族や周囲の人物が掘り下げられることで、従来の史料では見えにくかった人物像が再構成されることも少なくありません。
忠高自身に派手な功績が多く残っているわけではないものの、名門旗本の当主として家を守り、教育環境を整えた存在であった点は見逃せません。
「歴史の主役ではないが、主役を育てた人物」という位置づけは、武家社会における父の役割を象徴するものでもあり、今後さらに注目されていくでしょうね。
どんなふうに大河ドラマの中で描かれるのかたのしみですね。
まとめ|小栗忠高は「忠順を支えた静かな父」
小栗忠高は、幕末の幕臣
小栗忠順 の父として知られる旗本であり、名門小栗家の当主として家を守り続けた人物でした。
自らが歴史の表舞台で大きな功績を残したわけではありませんが、婿養子として家督を継ぎ、格式ある家の秩序と安定を維持した堅実な当主であったと考えられます。
また、規律や型を重んじる教育環境を整えたことは、忠順の冷静で実務的な人物像の形成にも少なからず影響を与えた可能性があります。
派手さよりも責任と役割を重視する姿勢は、武家社会における理想的な父の在り方ともいえるでしょう。
史料が少ないため実像の全体像は見えにくいものの、「主役の父」としての存在意義は決して小さくありません。
近年は大河ドラマ『逆賊の幕臣』で描かれることもあり、俳優の
北村有起哉 さんが演じる人物としても注目が高まっています。
小栗忠高とは、歴史の中心人物ではなくとも、名門旗本の当主として家を支え、のちに幕末を動かす人物を育てた「静かな基盤」のような存在だったんでしょうね。