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ジョン万次郎と遭難した4人の仲間!鳥島を生き抜いた仲間たちのその後

2028年の大河ドラマ『ジョン万』の発表以降、注目が集まるジョン・万次郎の「鳥島サバイバル編」。

真水も植物もない絶望の孤島で143日間を生き抜いた奇跡の実話ですが、忘れてはならないのが、万次郎と共に命がけの極限状態を生き抜いた4人の仲間たちの存在です。

歴史の教科書ではどうしても万次郎一人がクローズアップされがちですが、実は残された4人の仲間たちの「その後の人生」もまた、万次郎に負けず劣らずドラマチックで、涙なしには語れないものばかりでした。

ハワイで別れる決断をした者、命がけで日本への帰国を果たした者……。

この記事では、万次郎の原点を支え、それぞれの運命を全うした4人の仲間たちの知られざる「その後」を優しく紐解きます。

  • 漂流の後遺症に倒れた重助の無念と、ハワイで国際結婚した寅右衛門の決断

  • 万次郎と生きて故郷へ!土佐で英雄となった伝蔵と五右衛門の第2の人生

  • 5人の絆を知ることで、大河ドラマ前半の感動が100倍になる!

万次郎一人では絶対に成し遂げられなかった奇跡の生還。

彼らが選んだそれぞれの人生の結末を覗いてみましょう。

過酷な鳥島サバイバルを共に生き抜いた5人の熱い絆

ジョン・万次郎の人生最大の奇跡といえば、やはりあの「鳥島での無人島サバイバル」です。

天保12年(1841年)、高知県の宇佐浦から漁に出たものの、激しい嵐に巻き込まれて太平洋を漂流。命からがら辿り着いたのが、伊豆諸島にある孤島「鳥島」でした。

このとき、絶望の淵に立たされたのは万次郎一人ではありませんでした。彼と共に激流を乗り越え、不毛の島に降り立った5人の仲間たちがいました。

  • 筆之丞(ふでのじょう / のちの伝蔵): 当時38歳。漁船の船長(足実頭)であり、5人の絶対的なリーダー。万次郎にとって頼れる兄貴分。

  • 重助(じゅうすけ): 当時25歳。

  • 寅右衛門(とらえもん): 当時26歳。

  • 五右衛門(ごえもん): 当時16歳。筆之丞の弟。

  • 万次郎(まんじろう): 当時わずか14歳。最年少の漁師見習い。

当時の年齢を見ても分かる通り、万次郎はまだ14歳の子供でした。船長である筆之丞を中心に、年の離れた大人たちが幼い万次郎や五右衛門を必死に守り、支え合っていたのです。

誰一人欠けても生き残れなかった143日間

鳥島は、真水が湧かず、食べられる植物もほとんど生えていない「地獄の島」でした。

彼らが生き延びるためにできたことは、激しい雨が降ったときに岩場に溜まるわずかな雨水をすすり、島に生息するアホウドリを捕まえて、その生血で喉を潤し、生肉をかじることだけ。

極限の飢えと渇き、そして「一生ここから出られないかもしれない」という恐怖。

普通であれば、絶望のあまり仲間割れが起きたり、自暴自棄になって命を落としたりしてもおかしくない環境です。

しかし、彼らは違いました。

船長の筆之丞が全員を厳しく、かつ温かくまとめ上げ、互いに励まし合いながら、雨水を確保するための連携やアホウドリの捕獲に全力を尽くしました。

誰一人として「諦める」ということをしなかったのです。

この「5人の固い絆とチームワーク」があったからこそ、漂流から143日目、アメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に奇跡的に発見されたとき、全員が揃って生きて救助されるという、歴史的な奇跡を成し遂げることができました。

しかし、アメリカの船に救われ、一命を取り留めた5人を待っていたのは、さらなる「運命の分岐点」でした。

ここから彼らの人生は、驚くほどバラバラの方向へと動き出していくのです。

本当にその時の決断や運がどのように作用するかわからないものですよね。

ハワイでの運命の分岐点:万次郎の旅立ちと、重助の早すぎる死

アメリカの捕鯨船に救われた5人が、1841年の秋に送り届けられたのが、当時の中継貿易の拠点として栄えていたハワイ(オアフ島・ホノルル)でした。

ここで5人の運命は最初の大きな分岐点を迎えます。

ハワイに到着してすぐ、船長にその聡明さを気に入られた14歳の万次郎は、自らの希望でそのまま捕鯨船に残り、一人アメリカ本土を目指して旅立つことになったのです。

一方、残された4人の大人たちはハワイで下船し、現地の宣教師たちの助けを借りながら、慣れない異国での暮らしをスタートさせました。

漂流の後遺症に倒れ、故郷を夢見ながらハワイの地に散った重助

遭難当時25歳、船長・筆之丞(伝蔵)の実の弟であり、船内では「漁撈(ぎょろう)係(魚を獲る専門職)」を務めていた重助(じゅうすけ)。力仕事の要として、無人島でもアホウドリの捕獲などに誰より奔走したであろう、頼もしい青年でした。

1841年11月、アメリカの捕鯨船によってハワイのホノルルに送り届けられた際、重助は兄の筆之丞たちと共に下船します。ハワイ王国の顧問でもあった宣教師ジェリット・ジュット氏らの手厚い計らいにより、言葉の通じない異国でありながらも、命の危険のない平穏な暮らしをスタートさせることができました。

しかし、地獄の鳥島で過ごした「143日間」という歳月は、重助の体に目に見えない残酷な爪痕を残していました。 満足な真水もなく、海藻や生肉だけで餓死寸前の極限状態を生き抜いたことで、彼の内臓や体力はボロボロになっていたのです。ハワイの温かい気候や周囲の支援をもってしても、失われた健康が戻ることはありませんでした。

ハワイ上陸から5年後の1846年。日本への帰国の夢を抱いたまま、重助はわずか30歳前後の若さで病死してしまいます。

のちに捕鯨船員としてたくましく成長し、世界の海を巡る中でホノルルに寄港した万次郎は、かつての仲間たちと劇的な再会を果たしますが、そこに最年少の自分を可愛がってくれた兄貴分・重助の姿はありませんでした。無人島を共に生き抜いたからこそ、万次郎や兄の筆之丞たちの悲しみはどれほど深かったことか。重助の遺体はホノルルの墓地に静かに埋葬され、今もハワイの爽やかな風の中で眠り続けています。

凄惨な海のトラウマを乗り越え、ハワイへ骨を埋める決断をした寅右衛門

重助と同じく、船内では「櫓(やぐら)係(船を漕ぐ担当)」として荒波と戦っていた、当時26歳の寅右衛門(とらえもん)。

彼もまた、1841年にハワイで下船し、現地のコミュニティに受け入れられた一人でした。

寅右衛門は非常に手先が器用な男でした。

ハワイで暮らすうちに、現地の言葉を覚え、大工としての高度な技術をまたたく間に習得。やがて周囲のアメリカ人や現地の人々から腕のいい職人として認められ、異国の地で自分の力でしっかりと自立して生きていけるほどの基盤を築き上げたのです。

そして、漂流から9年が経った1850年。アメリカで造船や航海術を学び、ゴールドラッシュで帰国資金を稼ぎ出した万次郎が、小船「アドベンチャー号」を携えてハワイへ戻ってきます。

「この船で、みんなで日本へ帰ろう!」 兄の筆之丞や五右衛門が涙を流して喜ぶ中、寅右衛門だけは静かに首を振りました。

「俺は日本には帰らない。このハワイに残る」

その背景には、あの10年前に体験した「突然の強風での難破、死の一歩手前まで追い詰められた5日半の漂流」という恐怖が、どうしても拭えないトラウマ(船恐怖症)として心に深く刻まれていたからだと言われています。

「二度とあの恐ろしい大海原へ戻りたくない」というのは、極限状態を生き抜いた人間にしか分からない、あまりにも切実で本音の選択でした。

寅右衛門は仲間たちの帰国を見送り、ハワイに永住。

のちに現地の女性と国際結婚を果たして家族をもうけ、大工の棟梁として立派に生涯を全うしました。

のちに、幕府の使節団の一員として再びハワイを訪れた万次郎は、現地で幸せに暮らす寅右衛門と奇跡の再会を果たします。

生きるために別々の道を歩んだ2人が、互いの選択を称え合い、ガシッと抱き合った瞬間は、激動の歴史の中で生まれた最高の温かい奇跡と言えるでしょう。

ゴールドラッシュからの劇的再会!命がけの帰国を選んだ3人の男たち

ハワイで重助を亡くし、生き残った伝蔵、五右衛門、寅右衛門の3人がハワイで暮らし始めてから、実に9年の歳月が流れた1850年のこと。

彼らの前に、信じられない人物が姿を現します。

アメリカで航海術を学び、当時アメリカ中を震撼させていたカリフォルニアのゴールドラッシュの金鉱で泥まみれになって働き、見事に約600ドル(現在の価値で数百万円〜一千万円相当)という大金を稼ぎ出した、あの万次郎でした。

立派な青年へと成長し、帰国資金という「大金」を自力で掴み取ってハワイへ戻ってきた万次郎。何年もの間、互いの生死すら分からなかった仲間たちとの再会は、まさに奇跡そのものでした。万次郎は「この金で船を買い、みんなで日本へ帰ろう!」と提案します。

凄惨な海のトラウマを乗り越え、ハワイへ骨を埋める決断をした寅右衛門

重助と同じく、船内では「櫓(やぐら)係(船を漕ぐ担当)」として荒波と戦っていた、当時26歳の寅右衛門(とらえもん)。

彼もまた、1841年にハワイで下船し、現地のコミュニティに受け入れられた一人でした。

寅右衛門は非常に手先が器用な男でした。

ハワイで暮らすうちに、現地の言葉を覚え、大工としての高度な技術をまたたく間に習得。やがて周囲のアメリカ人や現地の人々から腕のいい職人として認められ、異国の地で自分の力でしっかりと自立して生きていけるほどの基盤を築き上げたのです。

そして、漂流から9年が経った1850年。アメリカで造船や航海術を学び、ゴールドラッシュで帰国資金を稼ぎ出した万次郎が、小船「アドベンチャー号」を携えてハワイへ戻ってきます。

「この船で、みんなで日本へ帰ろう!」 兄の筆之丞や五右衛門が涙を流して喜ぶ中、寅右衛門だけは静かに首を振りました。

「俺は日本には帰らない。このハワイに残る」

その背景には、あの10年前に体験した「突然の強風での難破、死の一歩手前まで追い詰められた5日半の漂流」という恐怖が、どうしても拭えないトラウマ(船恐怖症)として心に深く刻まれていたからだと言われています。

「二度とあの恐ろしい大海原へ戻りたくない」というのは、極限状態を生き抜いた人間にしか分からない、あまりにも切実で本音の選択でした。

寅右衛門は仲間たちの帰国を見送り、ハワイに永住。

のちに現地の女性と国際結婚を果たして家族をもうけ、大工の棟梁として立派に生涯を全うしました。

のちに、幕府の使節団の一員として再びハワイを訪れた万次郎は、現地で幸せに暮らす寅右衛門と奇跡の再会を果たします。

生きるために別々の道を歩んだ2人が、互いの選択を称え合い、ガシッと抱き合った瞬間は、激動の歴史の中で生まれた最高の温かい奇跡と言えるでしょう。

万次郎と共に命がけの帰国!伝蔵と五右衛門の土佐での第2の人生

こうして、ハワイに残る寅右衛門に涙の別れを告げ、命がけの帰国航海に挑んだのは、万次郎、伝蔵(筆之丞から改名)、五右衛門の3人でした。

当時、日本は厳格な「鎖国」の真っ只中。

海外からの帰国者は死罪になるリスクすらある時代です。

それでも1851年、3人はアドベンチャー号で琉球(沖縄)に命がけの上陸を果たし、長い取り調べを経て、11年ぶりに故郷・土佐の地を再び踏むことができました。

ハワイで改名!万次郎の頼れる生涯の兄貴分・伝蔵(筆之丞)

5人の中で最年長であり、遭難当時は38歳だった漁船の船頭・筆之丞。彼はハワイで暮らしている間に、名前を「伝蔵(でんぞう)」と改めました。

言葉も通じない異国の地で、幼い万次郎や五右衛門を守り続け、全員の精神的支柱であり続けた頼れるリーダーです。

万次郎がゴールドラッシュで掴んだ資金を元手に、伝蔵は弟の五右衛門、そして万次郎と共に命がけの帰国航海へ出発。

1851年に琉球(沖縄)へ上陸を果たします。しかし、待っていたのは故郷へのストレートな道ではなく、薩摩藩、長崎奉行所、そして土佐藩による1年半にも及ぶ、気が遠くなるような長期の尋問でした。

すべての取り調べを終え、漂流から実に11年目(1852年)にして、ようやく49歳になった伝蔵は故郷の宇佐浦(現在の土佐市)の土を踏むことができたのです。

しかし、長い歳月は残酷な現実を突きつけました。

伝蔵が我が家に帰ったとき、かつて残してきた最愛の妻は、すでに別の男性と再婚していました。

11年間も音信不通で生死不明だったため、「海で亡くなったもの」と誰もが諦めていたのです。

歴史の荒波に翻弄された、あまりにも切ない結末でした。

それでも、伝蔵は絶望に負けませんでした。

その後、新しい伴侶を迎えて温かい家庭を築き、故郷の海で再び漁師として生きる道を選びます。

世界を見てきた大ベテランの漁師として周囲の漁民から深く慕われ、晩年は穏やかな生活を送り、明治初期にその生涯を閉じました。

万次郎が出世して有名人になってからも、生死を共にした2人の固い絆は一生変わることはありませんでした。

1年半の過酷な尋問を乗り越え、「苗字帯刀」の武士へ大出世した五右衛門

遭難当時はわずか16歳、万次郎のすぐ上の兄貴分だった五右衛門(ごえもん)。

彼は船長である伝蔵の実の弟でもありました。

16歳という多感な時期に故郷を離れ、11年間の異国生活と長い取り調べを経て、27歳の立派な青年へと成長して帰国したのです。

土佐に戻った五右衛門を待っていたのは、かつての「貧しい漁師の子供」という身分を完全に超越した、破格の待遇でした。

琉球に上陸したあと、彼らを最初に取り調べたのは、開明派の名君として知られる薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)でした。

斉彬は彼らが持つ海外の知識に大興奮し、洋式の造船術や航海術を藩士たちに教え込ませます。

さらに長崎を経て土佐に帰ったあとも、幕末の天才絵師・河田小龍(かわたしょうりょう)や藩の要人・吉田東洋らが、彼らの語る世界情勢を貪るように記録しました。

激動の幕末、世界を肌で見て帰ってきた彼らのリアルな知見は、日本という国にとっても、土佐藩にとっても国家機密レベルの超一級品だったのです。

その功績と長年の苦難を称えられ、五右衛門は藩からなんと「苗字帯刀(名字を名乗り、刀を持つこと)」を許され、士分(武士の身分)に取り立てられました。

一介の漁師から、誰もがひれ伏す武士への大出世。

五右衛門はその知識を活かし、地元の宇佐浦で「お台場御用(海岸を守る砲台の責任者)」という要職に就き、故郷の防衛と発展のために命を燃やしました。

鳥島でアホウドリの血をすすりながら、ただ「生きて兄貴と故郷へ帰る」ことだけを信じ続けた16歳の少年が、11年後、故郷の歴史を動かす英雄として第二の人生を全うする。

この五右衛門のシンデレラストーリーは、大河ドラマでも最高のカタルシスを呼ぶ名シーンになるに違いありません。

鎖国の壁と1年半の尋問…漂流から11年目、ついに果たした「涙の故郷・親子の再会」

1851年、万次郎がゴールドラッシュで稼いだ資金で購入した小船「アドベンチャー号」に乗り、命がけで琉球(沖縄)へと上陸した万次郎、伝蔵、五右衛門の3人。

「ついに日本に帰ってきた!」と喜びの涙を流したのも束の間、彼らを待ち受けていたのは、鎖国を行っていた江戸幕府による気が遠くなるような長期の尋問と、数々の試練でした。

島津斉彬の厚遇から、長崎での「踏み絵」まで

海外からの帰国者は最悪の場合「死罪」もあり得る時代。最初に彼らを取り調べたのは、薩摩藩(鹿児島)の名君・島津斉彬(しまづなりあきら)でした。斉彬は彼らを厳しく罰するどころか、世界情勢や西洋の文化に深く感銘を受け、なんと西洋式の造船術や航海術を藩士たちに教え込ませるなど、3人を異例の「国賓級」として厚遇します。

しかし、次に送られた長崎奉行所では一転、厳しい尋問が待っていました。キリシタンではないことを証明するために「踏み絵」を迫られます。万次郎の記録によると、当時の踏み絵は多くの人が踏みすぎて絵がすり減り、何が描いてあるか分からない状態だったため、彼らは「何かよく分からないまま、とりあえず踏んだ」という、ちょっとクスッと笑える生々しいエピソードも残されています。ここで海外から持ち帰った大切な遺品の多くも没収されてしまいました。

天才絵師・河田小龍との出会い、そして11年目の抱擁

長崎での長い尋問を終え、ようやく土佐藩へと引き渡された3人。

高知城下で彼らを熱心に取り調べたのが、藩の要人・吉田東洋や、天才絵師であり知識人でもあった河田小龍(かわたしょうりょう)でした。

小龍は、万次郎たちが語るアメリカの民主主義、男女平等、そして見たこともない近代技術の話を貪るようにノートに記録し、のちに幕末の名著『漂巽紀略(ひょうそんきりゃく)』を書き上げます。

この本が、のちに坂本龍馬をはじめとする多くの幕末の志士たちに決定的な影響を与えることになるのです。

そして嘉永5年(1852年)、全ての取り調べが終わり、帰郷が許されます。 宇佐浦を出航したあの日から、じつに11年――。

14歳だった万次郎は25歳の立派な青年に、38歳だった伝蔵は49歳に、16歳だった五右衛門は27歳になっていました。

万次郎はついに、我が子を信じて待ち続けた最愛の母と抱き合い、涙ながらに再会を果たします。

伝蔵と五右衛門も、それぞれの家族との長すぎる離別の時間を埋めるように、熱い涙を流しました。

鳥島での絶望、ハワイでの重助との死別、寅右衛門との決別、そしてアメリカでの孤独な戦い……。すべては、この「故郷の家族のもとへ生きて帰る」という、ただ一つの願いのためにあったのです。

まとめ:5人の熱い絆を知れば、大河ドラマが100倍面白くなる!

歴史の教科書では「ジョン万次郎」という一人の天才ばかりがクローズアップされがちですが、あの過酷な鳥島サバイバルを生き抜き、激動の幕末へ繋がる扉を開けたのは、命を共有した「5人の仲間たちの絆」があったからでした。

最後に、今回ご紹介した4人の仲間たちのその後の運命をサクッとおさらいしましょう。

  • 重助: 漂流の後遺症に苦しみ、帰国の夢を抱いたままハワイの地で病死(享年30歳前後)。

  • 寅右衛門: 海のトラウマを乗り越え、大工としての才能を開花させてハワイへ永住。のちに万次郎とハワイで奇跡の再会を果たす。

  • 伝蔵(筆之丞): 万次郎と共に命がけで帰国。最愛の妻が再婚しているという切ない現実に直面するも、故郷で再び漁師として穏やかな晩年を送る。

  • 五右衛門: 万次郎・伝蔵と共に帰国。世界を見てきた知見を高く評価され、一介の漁師から「苗字帯刀」を許される武士へと大出世を果たす。

1852年、漂流から11年目にしてようやく果たされた、万次郎と母の抱擁、そして伝蔵・五右衛門の帰郷。

彼らの流した涙の裏には、これだけの数奇な人間ドラマが隠されていました。

2028年の大河ドラマ『ジョン万』でも、このハワイでの別れや11年目の再会シーンは、前半戦最大の涙腺崩壊ポイントになるはずです。

激動の時代を生き抜いた男たちの絆を胸に、ドラマの放送を楽しみに待ちましょう!

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彼らが命がけで生きぬいた、あの「鳥島での143日間」の具体的なサバイバル生活については、こちらの記事で詳しく解説しています。アホウドリと雨水だけでどうやって生き延びたのか、5人の奇跡のドラマをぜひあわせてご覧ください!