歴史の一歩
その史実は本当に真実だと思いますか?
人物・戦国時代

【辞世の句シリーズ】斎藤龍興の辞世の句とは?意味と波乱の人生|大河『豊臣兄弟!』

おもひきや 美濃をかすめて 来る舟の
ゆくえも知らぬ 終を見んとは

「斎藤道三の孫・龍興は、本当にただの『暗君』だったのでしょうか。」

2026年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』は、豊臣秀吉・秀長兄弟の立身出世を描く物語です。
その序盤において、彼らの前に大きな壁として立ちはだかる存在が、美濃国の若き当主・斎藤龍興です。

一般に斎藤龍興といえば、
「酒色に溺れ、竹中半兵衛にわずか16人で稲葉山城を奪われた無能な三代目」
という評価で語られることが少なくありません。
しかし、彼が最期に遺したとされる辞世の句に目を向けると、そこには教科書的な人物像とは大きく異なる、驚くほど思慮深く、執念を秘めた姿が浮かび上がってきます。

その和歌は、宿敵・織田信長の出身地である尾張を巧みに意識しながら、自らの数奇な運命を高度な表現で詠み込んだものです。
後世には、戦国時代の和歌の中でも屈指の出来栄えと評価する声さえあります。

なぜ「暗君」と呼ばれてきた人物が、これほどまでに美しい歌を詠むことができたのでしょうか。
そこに込められていたのは、信長、そして時代を切り開いていく豊臣兄弟に対する、敗者なりの最後の抵抗だったのかもしれません。

名門・斎藤家を滅ぼした当主として語られがちな斎藤龍興は、26歳という若さで、いったいどのような景色を見つめていたのでしょうか。

本記事では、斎藤龍興の辞世の句に隠された意味を読み解きながら、その波乱に満ちた人生をたどります。
あわせて、大河ドラマ『豊臣兄弟!』をより深く楽しむための視点として、龍興という人物を改めて考察していきます。

読み終えたとき、あなたの中の「斎藤龍興」という人物像は、
哀しくも気高い、ひとりの戦国武将へと書き換えられているはずです。

斎藤龍興の辞世の句とは?

斎藤龍興には、最期の心境を詠んだものとされる一首の和歌が伝えられています。
「暗君」「無能な当主」と評されがちな龍興ですが、この和歌を見ると、暗君どころか聡明な若武者増が私には浮かぶんです。

辞世の句とされる和歌

斎藤龍興の辞世の句とされている和歌は、次のものです。

おもひきや 美濃(みの)をかすめて 来(く)る舟の
ゆくえも知らぬ 終(おわり)を見んとは

【読み下し】
おもいきや みのをかすめて くるふねの
ゆくえもしらぬ おわりをみんとは

この和歌は、かつて美濃国の当主であった自らの人生を、
「美濃をかすめて通り過ぎていく一艘の舟」に重ねて詠んだものと解釈されています。

かつては国主として稲葉山城に君臨しながら、やがて国を追われ、各地を転々とし、最期は他国の戦場で命を落とす──。
その数奇な運命を、驚くほど静かで客観的な視点から見つめた表現だと言えるでしょう。

驚愕のテクニック!句に隠された「地名の罠(トリプル・ミーニング)」

斎藤龍興が遺した辞世の句は、単なる別れの言葉ではありません。そこには、言葉の魔術師とも言えるほど高度な「掛詞(かけことば)」が仕掛けられています。

まずは、この句の構造を一覧表で見てみましょう。

【視覚解説】一目でわかる「三つの罠」

句の言葉意味①:表面上の意味意味②:隠された地名・背景
美濃(みの)「身の」(自分の身の上)「美濃国」(奪われた故郷)
来る(くる)「来る」(流れ着くこと)「九頭(くず)」(最期の地・九頭竜川)
終(おわり)「終わり」(人生の終焉)「尾張国」(宿敵・信長の出身地)

各キーワードの深掘り解説

この「三つの罠」が組み合わさることで、龍興の複雑な感情が立体的に浮かび上がってきます。

1. 「美濃(みの)」:奪われた故郷への執着

表面上は「私の身の上のことですが」と詠みつつ、その裏には**「先祖代々守ってきた美濃国を、信長にかすめ取られてしまった」**という、悔やんでも悔やみきれない無念さが込められています。 「かすめて」という表現が、美濃を不意に奪われた衝撃を物語っています。

2. 「来る(くる)」:最期の地、越前への漂流

美濃を追われ、伊勢、摂津、そして越前(福井県)へと流れ着いた龍興。 この「来る」という言葉は、彼が最期に命を落とした越前の大河**「九頭竜川(くずりゅうがわ)」**の「九頭(くず)」という響きを暗示しているという説があります。 まさに、運命に翻弄されながら「ここまで来てしまった」という自嘲の念が伝わります。

3. 「終(おわり)」:宿敵・信長への痛烈な皮肉

この句の最大のハイライトです。 自分の人生の**「終わり」を、自分を滅ぼした織田信長の出身地「尾張(おわり)」**とかけています。 「私の人生を終わらせたのは、あの尾張の男(信長)だったか」という、死の直前まで刃を研ぎ続けた龍興の、強烈な皮肉とプライドが凝縮されています。


龍興は「言葉の刃」で勝利した?

「おもひきや 美濃をかすめて 来る舟の ゆくえも知らぬ 終を見んとは」

改めて読み返すと、これほどまでに緻密に計算された歌を、死の間際に詠める人物が「ただの暗君」であったとは到底思えません。

彼は武力では信長に敗れました。しかし、この一句の中に「美濃」から「尾張」への因縁を完璧に封じ込めることで、歴史の中に「一矢報いた」と言えるのではないでしょうか。

まさに、26歳の知将が遺した、執念の歌のような気がします。

この句は本当に辞世の句なのか?

ただし、この和歌については、一次史料によって龍興自身の辞世の句であると断定できるわけではありません。

現存する公的記録や同時代史料の中に、
「斎藤龍興が最期にこの和歌を詠んだ」
と明確に記されたものは確認されていません。

そのため、この句は

軍記物や後世の人物評伝の中で伝えられた可能性

龍興の生涯を象徴する歌として、後代に付会された可能性

を考慮する必要があります。

歴史研究の立場から見れば、史料的確実性には慎重であるべき和歌であることは間違いありません。

しかし一方で、この歌が示す内容は、斎藤龍興の人生とあまりにも強く符合しています。

美濃国主でありながら、実権を十分に握れなかった現実

国を失い、流浪の身となった後半生

敗北そのものより、「流され続けた人生」への内省

こうした要素が、この短い和歌の中には凝縮されています。

たとえ後世の伝承であったとしても、この一首は
斎藤龍興という人物を理解するうえで、極めて本質的な心象風景を伝えている
と私は考えています。

辞世の句として「史料的に確定しているかどうか」だけで切り捨てるには、あまりにも内容が深いなと感じています。

 

最期の地・刀根坂の戦い|龍興を討ったのは誰か?

天正元年(1573年)8月。
斎藤龍興の波乱に満ちた26年の生涯は、越前の険しい峠道、刀根坂(とねざか)で終わりを迎えます。

1. 朝倉軍の崩壊と「泥沼の撤退戦」

宿敵・織田信長が、龍興の身を寄せていた朝倉義景を討つべく越前へ侵攻。
朝倉軍は信長の電撃作戦の前に脆くも崩れ去り、凄惨な撤退戦が始まります。

世に言う「刀根坂の戦い」です。

暴風雨の中、泥まみれになりながら潰走する朝倉軍。
かつて美濃の主として稲葉山城に君臨した龍興も、この混乱の中で死を覚悟したはずです。
しかし、名門・斎藤家の血を引く彼は、無様に逃げることだけはよしとしませんでした。

2. かつての家臣の息子・氏家直昌との遭遇

運命とは、時に恐ろしいほどの皮肉を用意しています。
乱戦の中、龍興の前に立ちはだかったのは、織田軍の先鋒を務めていた若武者、氏家直昌(うじいえ なおまさ)でした。

この直昌の父こそ、かつて龍興を裏切り、織田信長を美濃へ引き入れた「美濃三人衆」の一人、氏家直元(卜全)だったのです。

かつての主君: 斎藤龍興(26歳)

裏切り者の息子: 氏家直昌

故郷・美濃を奪った者たちの息子が、今度は異郷の地で自分の命を奪いに来る──。
これほどまでに残酷な再会があったでしょうか。

3. 「皮肉な最期」と執念の終わり

激しい切り合いの末、龍興は氏家直昌の手によって討ち取られました。享年26。

かつての家臣に国を追われ、その息子に命を絶たれる。 客観的に見れば「敗北の極み」かもしれません。
しかし、彼が最期まで戦場に立ち続けた事実は、彼が単なる「酒色に溺れる暗君」ではなかったことを知ることができるんじゃないかと思います。
一生懸命斎藤家の当主として守るべきものを守ったんじゃないかと思うんですよね。

「最後」まで斎藤家当主としての矜持を持ち、戦い抜いた末の死。
彼を討った氏家直昌も、その首を信長のもとへ運ぶ際、かつての主君の衰えぬ眼光に何を想ったのでしょうか。

【独自視点】斎藤龍興と「豊臣兄弟」の知られざる因縁

織田信長の美濃攻略において、私たちはどうしても「信長vs龍興」という大名同士の対決に目を奪われがちです。
しかし、その舞台裏で斎藤家という巨大な牙城を内側から切り崩し、実質的に引導を渡したのは、当時まだ「木下」と名乗っていた豊臣秀吉・秀長兄弟でした。

1. 竹中半兵衛という「ミッシングリンク」

龍興と豊臣兄弟を語る上で欠かせないのが、稀代の軍師・竹中半兵衛の存在です。

かつてわずか16人で龍興の居城を乗っ取り、彼に「人生最大の屈辱」を与えた半兵衛。
その後、斎藤家を去った彼を口説き落とし、自身の軍師として迎えたのが秀吉でした。

龍興からすれば、自分を恥じ入らせた元家臣が、今度は「成り上がり者」である秀吉の右腕として、自分を追い詰めにやってくる──。
この竹中半兵衛というミッシングリンク(失われた繋がり)こそが、龍興にとって最も残酷な運命の悪戯だったと言えるでしょう。

2. 「裏工作」で斎藤家を解体した豊臣兄弟の手腕

信長が力で押す一方で、秀吉と秀長の兄弟は「知略」と「交渉」で美濃を攻略しました。

秀吉の「墨俣一夜城」: 龍興の鼻先に突如として城を築き、心理的なダメージを与える。

秀長の「ロジスティクスと交渉」: 兄を支え、斎藤家の有力家臣である「美濃三人衆」を織田方へ寝返らせるための緻密な根回しを行う。

名門ゆえに家臣を信じきれなかった龍興に対し、泥臭く家臣たちを懐柔していく豊臣兄弟。この「組織力の差」が、難攻不落と言われた稲葉山城の落城を決定づけたのです。

3. 「名門の終わり」と「成り上がりの始まり」

刀根坂の戦いで龍興が26歳の若さで散った天正元年(1573年)。
この年は同時に、秀吉が浅井氏を滅ぼした功績で長浜城主となり、「大名」への階段を駆け上がり始めた年でもありました。

歴史の対比:

斎藤龍興: 祖父・道三からの輝かしい血筋を持ちながら、26歳で滅びゆく「過去」。

豊臣兄弟: 針売りや足軽から這い上がり、未来の天下を掴もうとする「新勢力」。

名門・斎藤家を終わらせたのは、信長という天才だけではありません。
その背後で、時代のルールを書き換えようとしていた豊臣兄弟という「新しい風」だったのです。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、この「持たざる者」が「名門」を崩していく過程がどう描かれるのか。
龍興の最期を知ることで、ドラマの見え方が変わっていくんじゃないかと思います。

【コラム】歴史のバグ?なぜこの句は「加賀千代女」と間違われるのか

斎藤龍興の辞世の句を調べていると、意外な人物の名前に行き当たることがあります。
それが、江戸時代を代表する天才女流俳人、加賀千代女(かがのちよじょ)です。

「朝顔に つるべ取られて もらい水」の句で有名な彼女ですが、なぜ100年以上も時代が違う戦国武将の句と混同されてしまうのでしょうか?
そこには、ある種の「歴史のバグ」とも言える面白い理由があります。

1. 龍興の句の完成度が「プロ級」だったから

最大の理由は、龍興の句のクオリティがあまりにも高すぎることです。
掛詞を三層に重ねた緻密な構成は、荒々しい戦国武将の作というよりは、「洗練された文学者の作品」のように見えます。
そのため、後世の人々が「これほど見事な歌なら、あの有名な千代女の作に違いない」と勘違いし、一部の文献や伝承で誤って結びつけられてしまったんじゃないかとおもうんですよね。

2. 「美濃」と「加賀」の距離感

加賀千代女はその名の通り加賀(石川県)の人ですが、俳諧の修行などで隣国である美濃(岐阜県)の派閥とも深い交流がありました。
この「美濃」というキーワードの共通点が、混乱に拍車をかけた一因とも考えられています。

3. どちらが真実かを見分ける「決定打」

決定的な違いは、その「形式」にあります。

斎藤龍興: 和歌(五・七・五・七・七)

加賀千代女: 俳句(五・七・五)

龍興の句は、三十一文字の「和歌」です。
俳句の専門家である千代女が、わざわざ古い形式の和歌としてこの内容を詠む理由は薄く、やはり内容の整合性(美濃・九頭・尾張の因縁)から見ても、龍興本人の作であると考えるのが自然です。

執筆メモ: 「天才俳人と間違われるほどの傑作を遺した」という事実は、龍興のインテリジェンスを証明する最高のエピソードになります。
読者には「偽物説がある」というネガティブな捉え方ではなく、「プロの詩人と間違われるほどの名句」というポジティブな印象を与えましょう。

まとめ:辞世の句が証明する「斎藤龍興」の本真

「斎藤龍興は、本当に救いようのない暗君だったのか?」

この記事を通じてその足跡を辿ってきた今、あなたの中には全く別の答えが浮かんでいるはずです。

敗北のなかで研ぎ澄まされた「知性」

彼が最期に遺した「おもひきや 美濃をかすめて 来る舟の ゆくえも知らぬ 終を見んとは」という一句。
それは、単なる敗者の泣き言ではありません。

宿敵・信長の故郷である「尾張」を自分の「終わり」に重ね、奪われた「美濃」への想いを封じ込める。
この高度な言葉の遊びは、死の直前まで彼が「斎藤家当主」としての誇りと、鋭い知性を失っていなかった証拠です。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』をより深く楽しむために

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、名門・斎藤家が崩壊していく様が描かれます。
そこには、成り上がろうとする豊臣兄弟の熱量と、名門を守ろうとして散っていく龍興の、激しい時代のコントラストがあるはずです。

「16人で城を奪われた無能な三代目」という色眼鏡を外し、一人の青年が26歳の短い生涯で何に抗い、何を遺そうとしたのか。
その視点を持ってドラマを見ることで、物語の深みは間違いなく何倍にも膨れ上がります。

斎藤龍興をもっと知るための関連記事

「暗君」のレッテルを剥がしてみると、龍興にはまだまだ驚くべきエピソードが眠っています。

伝説の剣豪・塚原卜伝との師弟関係とは?

キリスト教の宣教師を唸らせた、哲学的な知性の中身

なぜ半兵衛は、一度奪った城を彼に返したのか?

龍興のドラマチックな性格や、竹中半兵衛との奇妙な友情(?)については、ぜひこちらの記事もあわせてご覧ください。

[あわせて読みたい] 斎藤龍興は本当に暗君?「敗者の物語」から見る斎藤三代最後の当主