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『豊臣兄弟!』斎藤義龍はなぜ過小評価された?DAIGOが演じる「新・義龍像」を徹底解説!

2026年大河ドラマ『豊臣兄弟!』。仲野太賀さん演じる豊臣秀長を中心に、新たな戦国絵巻が描かれることで期待が高まっていますが、中でもネットを騒がせたのが斎藤義龍(高政)役にDAIGOさんが起用されたことではないでしょうか。

「DAIGOさんが戦国武将?」「義龍って、あの父・道三を殺した悪役だよね?」

そんな声も聞こえてきそうですが、実は歴史ファンから見れば、今回のキャスティングは「これこそ、私たちが待ち望んでいた義龍像かもしれない」と大喜びしそうな案件です!

なぜなら、実際の斎藤義龍は、これまでの「親不孝な悪役」というイメージとは裏腹に、あの織田信長を死の直前まで圧倒し続けた、戦国屈指のインテリジェンスな天才だったからです。

なぜこれほどの実力者が、これまで「過小評価」され続けてきたのか?
そして、DAIGOさんはどのような「新しい斎藤義龍」を私たちに見せてくれるのか?

今回は、信長が最も恐れ、最も勝てなかった男・斎藤義龍の真実に迫ります。
この記事を読めば、大河ドラマ『豊臣兄弟!』が10倍楽しくなるはずです!

なぜ斎藤義龍は「過小評価」され続けてきたのか?

歴史ファンであっても「斎藤義龍(高政)」と聞くと、「父・道三を長良川で討った人物」というイメージで止まってしまう方が多いのではないでしょうか。
今まではたしかに親を殺す野蛮な人物」という評価だったんです

実は、彼がこれほどまでに正当な評価を受けてこなかったのには、歴史の「書き手」と「時代の価値観」による3つの大きな理由があります。

1. 「親不孝者」という強烈なレッテル

最大の理由は、下克上の代名詞である父・斎藤道三を殺害したという「父殺し」のエピソードです。
江戸時代に入ると、儒教的な「孝(親を大切にする心)」が道徳の基本となりました。
父を討った義龍は、実力がどうあれ「倫理的に許されない悪人」として描かれるのが定番となってしまったのです。

しかし、近年の研究では、道三が義龍の弟たちを偏愛し、義龍を廃嫡(跡継ぎから外す)しようとしていた形跡も指摘されています。
義龍にとって、この戦いは単なる野心ではなく、自らの生存と家臣団を守るための「正当防衛」に近い決起だったという側面が見えてきています。

2. 勝者・織田信長による「歴史の書き換え」

私たちが目にする戦国時代の記録の多くは、最終的な勝者である織田信長や豊臣秀吉の視点で書かれています。
特に信長の伝記『信長公記』において、義龍は「信長が天下へ羽ばたくための踏み台」のように描かれがちです。

もし義龍を「非の打ち所がない名君」として書いてしまえば、彼に勝てなかった時期の信長の評価が下がってしまいます。
そのため、義龍の実力は意図的に伏せられ、「道三の死後に美濃を混乱させた人物」という矮小化された像が定着してしまいました。

3. 働き盛りの「33歳」で訪れた早すぎる死

これが最も大きな要因かもしれません。
義龍は、信長を軍事的・政治的に完全に封じ込めている絶頂期に、突然の病死を遂げます。

義龍が亡くなったのは永禄4年(1561年)

信長が美濃を攻略(稲葉山城陥落)したのはその6年後

もし義龍があと10年長生きしていれば、信長の天下統一は不可能だった、あるいは大幅に遅れていたと言われています。
「負けて滅んだ」のではなく「戦いの途中で舞台を降りてしまった」ことが、彼の功績を歴史の闇に埋もれさせてしまったのです。

【コラム:義龍の「一色」改姓はインテリの証?】
義龍は単なる武骨な武将ではありませんでした。自らの家系を室町幕府の名門「一色氏」に繋げ、将軍家から正式に認めさせるという高度な政治工作を行っています。これは、DAIGOさんが持つ「気品」や「スマートなイメージ」とも重なる、知略家としての顔なのです。

信長が「絶望」した真の実力。義龍が最強だった3つの根拠

織田信長といえば「戦の天才」というイメージがありますが、その信長が手も足も出なかった相手、それが斎藤義龍です。
ここでは、義龍がなぜ「信長最大の壁」と言われるのか、あまり知られていないエピソードと共に解説します。

1. 「長良川の戦い」で見せた圧倒的な軍事的センス

父・道三と戦った「長良川の戦い」において、義龍は17,500という大軍を鮮やかに動員しました。
一方の道三はわずか2,700。 特筆すべきは、義龍が単に数で押し潰したのではなく、道三を救援に来た信長軍の動きを完璧に封じ込めた点です。
信長は道三を助けるべく木曽川を渡ろうとしましたが、義龍は別働隊を送り込んで信長軍を釘付けにし、その間に父を討ち取りました。

この時、信長は義龍のあまりの軍の統制力に驚愕し、命からがら退却しています。
義龍は信長の「戦術の癖」を完全に見抜いていたのです。

2. 「一色姓」への改称:信長を「賊軍」に追い込む外交戦略

義龍の凄さは武力だけではありません。彼は自身の家名を、足利将軍家の一門である「一色(いっしき)」に改姓しました。
これが単なる見栄ではない、恐ろしい政治工作でした。

足利義輝との連携: 義龍は室町幕府13代将軍・足利義輝に接近し、一色姓を名乗る許可を得て「相伴衆(将軍に近侍する高位の身分)」に任じられました。

信長を「逆賊」へ: これにより、義龍は幕府の公式な権威を背景に持つ「正義の軍」となりました。
対する信長は、幕府高官(義龍)に刃向かう「逆賊」という立場に追い込まれたのです。

信長が後に「足利義昭」を奉じて上洛するのは、この時、義龍に「権威の力」で完敗した教訓を活かしたものだという説があるほどです。

3. 日本初!?鉄砲の集団運用と「六角氏」との連携

あまり知られていないエピソードですが、義龍は鉄砲の有用性にいち早く着目していた先駆者でもありました。
信長の「長篠の戦い」よりはるか昔、義龍はすでに国友(滋賀県)の鉄砲鍛冶と深く繋がり、大量の鉄砲を確保していました。

さらに、近江の強力な大名・六角義賢(ろっかく よしたか)と固い同盟を結び、信長の背後を常に脅かしていました。信長が美濃へ攻め込もうとすると、すかさず義龍が六角氏と連携して揺さぶりをかける。
信長は義龍が生きている間、この「斎藤・六角包囲網」を一度も突破することができませんでした。

【歴史の裏話:義龍の死因は「癩病(ハンセン病)」だった?】
義龍は33歳の若さで急死しますが、当時その死は「父を殺した報い(天罰)」として噂されました。しかし、実際は激務による体調不良や病死であったと考えられています。彼がいなくなった途端、信長は「ようやく美濃へ入れる」と安堵したと言われるほど、義龍の存在は信長にとって巨大な精神的圧力だったのです。

DAIGOが演じる「新・義龍像」とは?配役から読み解くドラマの行方

大河ドラマ『豊臣兄弟!』で斎藤義龍を演じるDAIGOさん。
一見、バラエティでの明るいイメージから「意外な配役」と思われがちですが、実はこれまでの「力任せな巨漢の武将」という義龍像を覆す、非常に理にかなったキャスティングだと思います。

1. 「脳筋」ではない、室町文化に通じた教養人

義龍は、父・道三のような「成り上がりの力攻め」ではなく、極めて洗練された知略と教養を武器にしたインテリ武将でした。
それを象徴するのが、彼が愛した「連歌(れんが)」や「茶の湯」の世界です。
義龍は当時の文化人たちと深く交流し、高い教養を身につけていました。

DAIGOさんの持つ、隠しきれない「育ちの良さ」や「品位」は、まさに名門・一色氏を自称し、将軍家との交流を深めた義龍の「貴公子的な側面」を表現するのに最適です。
力でねじ伏せるのではなく、論理と権威で相手を追い詰める、冷徹でスマートな義龍が描かれるのではないでしょうか。

義龍が読んだとされる歌ーー知られざるエピソード

斎藤義龍が連歌を嗜んでいた事実は、彼が単なる武骨な武将ではなく、当時の最高教養を身につけた「インテリ武将」であったことを証明する重要な要素ですね。

義龍が関わった連歌として最も有名なのは、弘治3年(1557年)に稲葉山城で行われた『斎藤高政(義龍)百韻』です。

当時の超一流の連歌師である里村紹巴(さとむら じょうは)を美濃に招いて開催されましたようです。

この時、義龍が詠んだ句を紹介します。

義龍が詠んだ句の一例

「待つにふけゆく 鐘のひびきに」 (まつにふけゆく かねのひびきに)

これは百韻連歌の冒頭(発句)に続く、重要な場面で義龍が詠み上げた句とされています。

意味の解釈: 「(誰かを、あるいは何かの報せを)待ち続けているうちに夜が更けていき、寺の鐘の音が心に響くように聞こえてくる」という、非常に静寂で繊細な情緒を詠んでいます。

ここが凄い: 父・道三を討った翌年という殺伐とした時期にありながら、これほどまでに落ち着いた、風雅な句を詠める精神状態こそが義龍の底知れぬ強さ(インテリジェンス)を表しています。

なぜこれが「知られざるエピソード」なのか

実は、この連歌の会には政治的な意図も隠されていました。

一流文化人とのコネクション: 里村紹巴は後に明智光秀とも交流する、当時の文化界の頂点です。彼を招けるということは、義龍が中央(京都)の文化圏に太いパイプを持っていた証拠です。

美濃の安定をアピール: 「父を殺して美濃が混乱している」という噂を打ち消すため、優雅に連歌会を催すことで「美濃は私の統治下で平和である」と天下に知らしめたのです。

2. 誰も気づかなかった「家臣との合議制」という近代性

あまり知られていない義龍の凄さに、「独裁を捨てた」という点があります。
父・道三は自分の力だけで国を治めようとして家臣の離反を招きましたが、義龍は「安藤守就」や「氏家卜全」ら有力家臣(西美濃三人衆など)を集め、合議制による政治を導入しました。

自分一人で目立とうとするのではなく、組織として美濃を盤石にした。
この「周囲を尊重し、調和を図る」という姿勢は、現代のリーダー像にも近く、DAIGOさんが持つ柔和さと意志の強さの共存が、この「組織者としての義龍」を見事に体現してくれるはずです。

3. DAIGOだからこそ描ける「静かなる狂気」

義龍には、父殺しの罪を背負いながら、病魔と戦い、それでも信長を圧倒し続けなければならないという、孤独な悲劇性があります。
DAIGOさんの落ち着いたトーンと、時折見せる鋭い眼差しは、「誰にも理解されない孤独な天才」の苦悩を演じるのにぴったりです。

【ここが知られていない!義龍のこだわり】
義龍は自身の花押(サイン)にも強いこだわりを持っていました。将軍家から認められた証として、格式高い様式を使い分け、自分を「美濃の主」ではなく「中央政界の一員」としてブランディングしていたのです。DAIGOさんが演じる義龍が、書状一つで信長を震え上がらせるシーンなどがあれば、歴史ファンは感涙ものですね。

まとめ

いかがでしたでしょうか。
『豊臣兄弟!』でDAIGOさんが演じる斎藤義龍は、こうした「静かなる教養」と「冷徹な計算」を併せ持った、新しい時代のリーダーとして描かれるに違いありません。

父・道三が「毒々しい蝮(まむし)」だったのに対し、息子・義龍は「洗練された龍」。
父と息子があまりに対照的すぎて、道三が義龍の聡明さに気づけなかったのかもしれないと私は思っています。

また信長が最も恐れた男の真実を知ると、ドラマの中でのDAIGOさんの立ち振る舞い一つ一つに、深い意味を感じ取れるはずです。

「親不孝」というレッテルを剥がしたとき、そこには戦国史を動かした真の天才の姿があります。
皆さんもぜひ、ドラマを通じて「再評価される義龍」を目撃してください!

 

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