平安時代の僧侶、定澄(じょうちょう)が次回(第35回)の大河ドラマ『光る君へ』で重要な役どころを演じます。
定澄は、法相宗の興福寺の別当として知られ、藤原道長との関係を通じて平安時代の政治や宗教に大きな影響を与えた人物です。
彼の生涯や業績、そして道長たちとの関わりについてしりたくありませんか?
ドラマを通じて定澄の魅力を再発見し、彼がどのようにしてその時代に影響を及ぼしたのかをお話しします。
定澄の生涯
今回の定澄役を赤星 昇一郎さんが演じます。
ポッと出てきたように思われますが、定澄の人生ってどうだったんでしょうね。
出自と僧侶としての道
定澄(じょうちょう)は935年に壬生氏の家に生まれ、幼少期から仏教に深い関心を持ち、
17歳で得度し、仁和寺別当の寛空や興福寺別当の空晴に師事しました。
彼は法相宗の教えを深く学び、興福寺に籍を置くことになります。
988年には維摩会で講師を務めるなど、僧侶としての地位を着実に築いていきました。
興福寺別当としての活躍
定澄は995年に権律師に任じられ、西大寺別当に就任後、999年に興福寺権別当、翌年には正任の別当となりました。
かなり華々しい経歴と言えるでしょう。
彼は興福寺の運営において重要な役割を果たし、寺院の影響力を強化しました。
1006年には大和守・源頼親との所領を巡る対立が生じ、朝廷や藤原道長に解決を求めるなど、政治的な交渉にも積極的にかかわったようですね。
藤原道長との関係
定澄は藤原道長との関係においても深くかかわりがありました。
興福寺は道長一家のゆかりの寺だったのです。
そんな中、興福寺の紛争が多いことについて、道長から叱責を受けることもありましたが、彼自身は権門の高僧として朝廷や藤原氏九条流の仏事に供奉しました。
1015年には、道長の五十の賀の法会で導師を務めましたが、急病を発して辞去し、その翌月に亡くなりました。彼の死は、当時の宗教界に大きな影響を与えました。
藤原道長と定澄の対立:権力と宗教の緊張関係
1006年の所領問題
1006年、新任の大和守・源頼親が着任すると、興福寺との間で所領を巡る深刻な対立が発生しました。
定澄は興福寺別当として、寺院の権利や利益を守るため、この問題に積極的にかかわっていきます。
彼は朝廷と藤原道長に対し、源頼親の解任を強く要求しました。
この行動は、単なる寺院の利益保護にとどまらず、当時の政治構造に一石を投じるものでした。
興福寺大衆の入京騒動
定澄の訴えは即座には解決せず、事態は徐々にエスカレートしていきました。
これが大河ドラマ光る君へで、僧兵たちが都になだれ込んだ様子がそれです。
ついに、興福寺の大衆(僧兵)が入京する騒ぎにまで発展しました。
この出来事は、宗教勢力が政治に及ぼす影響力の大きさを如実に示すものでした。
そして、当時の僧兵たちのヤンチャぶりも…。
大衆の入京は、朝廷や藤原道長にとって無視できない圧力となり、政治的な緊張を高めました。
道長との複雑な関係
この紛争は、定澄と藤原道長の関係の複雑さを浮き彫りにしました。
道長は時に定澄を叱責することがありましたが、同時に彼を重要な宗教的指導者として認識していました。
ある程度、道長は定澄のことをリスペクトしていたんですね。
定澄は権門の高僧として、道長家の仏事にも頻繁に供奉していました。
1015年には道長の五十の賀の法会で導師を務めるなど、両者の関係は対立と協調が入り混じった複雑なものでした。
この事件は、平安時代中期における政治と宗教の密接な関係、そして寺院勢力と貴族政権の間の微妙な力関係を象徴する出来事でした。
定澄の行動は、宗教指導者が持つ政治的影響力を示すと同時に、藤原道長の時代における権力構造の複雑さを浮き彫りにしたのです。
藤原道長と定澄の対立の収拾
結局のところ、この話の顛末って?
どんなふうに終わったの?
興福寺大衆の退去
興福寺の大衆が入京した際、藤原道長は迅速に対応し、官吏を派遣して彼らを追い立て、退去させることに成功しました。
この行動は、道長が持つ政治的権力と影響力を示すものであり、事態の一時的な沈静化に寄与しました。
これが長引けば、道長の政治生命も危うかったかもしれません。
部分的な要求受け入れ
道長は興福寺側の要求に対し、部分的に応じる形で対応しました。
そうしなければ、事態は収拾しなかったからです。
具体的には、事件の実情を調査するために実検使の派遣には同意しましたが、源頼親と当麻為頼の解職要求や、公請停止された蓮聖に対する公請停止取消の要求には応じませんでした。
このように、道長は戦略的に対応し、興福寺の要求を完全には拒否しない一方で、自身の権威を損なわないようにしました。
道長の全面的勝利
最終的に、この事件は藤原道長の全面的勝利に終わりました。
道長は興福寺との全面対決を避けつつ、自身の権力と決定権を示すことに成功しました。
これにより、興福寺に対する優位性を確立し、寺院勢力に対する朝廷の統制力を示すことができました。
このあたりの道長の政治的な判断はさすがだといわざるをえません。
絶妙なさじ加減で、そのあたりをおさめてしまうのは、かなり政治的手腕に優れていたんだと思います。
また、源頼親を通じて大和国における影響力を維持することにも成功しています。
この結果、道長は政治的な安定を保ちつつ、宗教勢力との関係を巧妙に管理しました。
定澄を演じる赤星昇一郎さんの経歴
私は定澄が画面に出てきたときに、びっくりして、声を上げてしまいました。
この方かつて広島放送局の「ワラッチャオ」で頑固おやじを演じていました。
さらに言えば、そこで「パンツに穴があいてる」というセリフで絶対笑わないキャラで通っていたのに、大爆笑していたのが印象的です。
そんな場面しか知りませんでしたが、なんといろいろな経歴の持ち主でした。
赤星昇一郎さんは、日本の俳優、声優として活躍されています。1955年11月25日生まれ、東京都出身です。
経歴の主なポイント
劇団活動: 大学在学中に劇団色鉛筆(後の劇団魔天楼)に参加し、舞台経験を積みました。
お笑いデビュー: 1983年に平光琢也さん、郷田ほづみさんと共に結成したお笑いトリオ「怪物ランド」で、『お笑いスター誕生!!』に出場し、10週勝ち抜きチャンピオンとなり、お笑い界でデビューしました。
俳優としての活動: お笑い活動と並行して、俳優としても活動を開始。ドラマ、映画、舞台など幅広いジャンルに出演しています。
劇団鳥獣戯画: 2002年から、劇団鳥獣戯画の「三人でシェイクスピア」に長年出演し、舞台俳優としての地位を確立しました。(ウィキペディアより)
詳細な経歴
大学時代: 日本大学藝術学部演劇学科を中退。
劇団活動: あかつき騎士団を経て、劇団解散後に「怪物ランド」を結成。
俳優業: ドラマ、映画、舞台など、様々な作品に出演。特に、NHKの大河ドラマや民放の連続ドラマなど、テレビドラマへの出演が多いです。
声優業: アニメや吹き替えなど、声優としての活動も行っています。
舞台: 劇団鳥獣戯画の「三人でシェイクスピア」をはじめ、数多くの舞台作品に出演しています。(ウィキペディアより)
代表作
ドラマ:
NHK大河ドラマ「花の乱」
テレビ朝日「新・警視庁捜査一課9係」
TBS「ヤメゴク〜ヤクザやめて頂きます〜」
NHK総合「山賊の娘ローニャ」
アニメ:
「ゲゲゲの鬼太郎」(子泣き爺役)
舞台:
劇団鳥獣戯画「三人でシェイクスピア」
まとめ
世の中を動かそうとした定澄ですが、結局は道長の大きな影響力に勝つことはむずかしかったようです。
それでも、彼は自分たちの主張を通そうとしました。
そんな定澄の様子を私たちも応援しましょう。
赤星さんの演技に注目が集まりますね。
真剣な顔をしている赤星さんを見ながら、「パンツに穴あいてる」と子供に言われている様子そちょっとだけ想像してみてくださいね。